日本には、男か女かという二分では分けられない
ジェンダーレス(LGBTQ+)の人が、人口の約8〜10%いると言われています
つまり、「10〜13人に1人」というのが現在の通説です
これを多いと感じるか、少ないと感じるかは人それぞれでしょう
國學院大學博物館の「性別越境の歴史学ー男/女でもあり、女/男でもなく」展に行き
日本の歴史の中で「あいまいな性」がどのように扱われてきたのか
書物や土器などの展示を通して知り、深く考えさせられる機会となりました![]()
チラシの表と裏
殆どの展示品は撮影不可でしたが
ほんの一部だけ撮影okでした
第1章 性の抑圧「文明開化」と明治以降の性的規範
まずは明治時代の教本や新聞や戸籍の展示です
それまで「あいまいな性」だった人たちも
生まれた時の性別で二分する動きが始まります
明治5年に発令された「違式詿違条例」によって
性別越境者や同性愛が禁止され、
「男らしさ」や「女らしさ」が強制されて来ました
第2章 神話と考古学から見た「双性原理」
縄文時代の石棒と石冠
先史時代の性表象ー異形なるものー
明治時代に抑圧されるまでの「双性原理」の展示です
双性原理というのは男であり女でもあるということです
双性原理を持って生まれた人は「異能」とされ、神に近い存在として
宗教的な役割、職種を担って来ました
遺跡などから
鹿などの骨のアクセサリーをつけた呪術者の人骨が見つかっておりますが
その中には、「双性のシャーマン」と呼ばれる小柄な男性の物もありました
女性が担うことの多かったシャーマンを双性の方が行なっていたことがわかります
土偶
また、石器や鈴鏡から性器を模ったデザインの物が出土されています
鈴鏡
神話と考古学から見た「双性力」
生まれながらに「双性」の人は神に近い存在ですが
「双性」として生まれなかった場合、女装や男装をして
「双性力」をつけるという発想が生まれます![]()
例えば、熊曽建(クマソタケル)を征伐するよう命じられた「ヤマトタケル」は
九州に行く前に
伊勢神宮の斎宮をしている叔母の「ヤマトヒメ」を訪ねます
「ヤマトヒメ」には神託を聞く能力があり、
「ヤマトタケル」に着物を授けたと言われています
着物を着て女装した15歳の「ヤマトタケル」は無事熊曽建を征伐しました
熊曽建が
女装したヤマトタケルを見て油断したのだ、
という人もいますが
双性力による物だったかもしれません
他にも「日本書紀」や江戸時代に書かれた「八幡縁起」などにも
双性力を頼みに戦う描写があります
男性の頭蓋骨と共に見つかる櫛
櫛は女性の装飾品ですが、双性の方も使っていたようです
埋葬される時に復活と再生を祈って櫛などを入れることがありますが
男性と思われる頭蓋骨付近から櫛が見つかることもあるようです
第3章 中世・近世の「性別越境者」たち
小柄な男性を連れ歩く様子
異性装の巫覡「稚児装」
鎌倉時代以降になると
僧侶や権力者たちの間で巫覡(ふげき)や稚児をそばに置くことが流行します
「じしゃ」や「白拍子」や「稚児」は
「宇治拾遺物語」や「徒然草」「吾妻鏡」などにも登場します
性的な存在とされていますが
「双性と交わることは観音と交わること」という思想があったそうです
「若衆装」の展開ー若衆から遊女へ、女形から市井の娘たちへ
江戸時代になると歌舞伎などの芸能も盛んになるにつれ
性別越境は芸能と結びついていきます
歌舞伎は出雲の阿国という女性が男装して舞ったことが起源とされていますが
やがて若衆歌舞伎、遊女歌舞伎が誕生し人気を博しました
現在でも野郎歌舞伎や宝塚のような性別越境の演劇は大衆に受けています
それらが市井の娘たちのファッションにも大きな影響を与えています
例えば「振り袖」は昔は若衆(オシャレな男の子)が着ていましたが、
現在は女性の物になりましたね
第4章 神事芸能にみる「異性装」
山梨県笛吹市浅間神社の「おみゆきさん」
明治政府は女装を伴うようなお祭りを弾圧して来ました
しかし、今も残っているお祭りが僅かにあります
写真の「おみゆきさん」は若い男性が女装して堤防を踏み固めるお祭りです
何故女装をするか、明確には分かりませんが、
「その方が固まるから」
という理由のようです
他にも女装した人が撒くお札を拾うお祭りなどが残っているようです
「女装した人の方から貰う方が効きそうだから」
だそうです
エピローグ ーある「性別越境者」の生涯ー
昭和の初めに那須塩原に
「おいらん清(せい)ちゃん」とよばれる
有名な女装遊芸者がいました
清ちゃんはとても大きな体つきでしたが
修行して髪結となり、三味線なども習い女装遊芸者となりました
愛嬌があり、要人にも気に入られ人気者だったことから
新聞などでも度々取り上げられる有名人でしたが
戦争が始まると清ちゃんも戦争に召集されてしまいます
体が大きく丈夫だった清ちゃんは甲種合格になり
3度も戦地に行かされました
最初は嫌がっていたそうですが、3度目の出征の時は
「軍人の本分を尽くしに参ります」
と敬礼🫡し、見送る人たちは万歳三唱したそうです
おいらん姿の清ちゃんと凛々しい軍人姿の清ちゃんが絵葉書となり
当時売り出されました
それだけ人気者だった清ちゃんですが
戦地で病没されたそうです
戦地ではイジメにあったとも、人気者だったとも言われていますが
戸籍上男性として生まれ、女性としても男性としても一生懸命生きた生涯でした
見学を終えて
「男らしく、女らしく」の概念は
ほんの150年あまり前に西洋文化から影響を受けて生み出されたものだということが
よく分かりました
この数十年、ジェンダーレスへの理解が急速に高まっているように感じます
人口の約8〜10%いると言われるジェンダーレスを二分しようとすることが
無理なのです
日本人は古来から寛容で鷹揚な国民ですから
その精神を思い出し、多くの人が住みやすい世の中にしていきたいですね![]()
最後までご覧いただきありがとうございました🌈








