誰が 言い始めたんだろ
自分に 許可をする
手放す
ブロックを はずす
思い込みを 変える
ギフトがある
たぶん 大変な思いをされて
頑張ってる方には ぴったりはまる
響きなんだろうなぁ。
私は 2年前まで
そういう 言い方を 知らなかったので
「 なんで みんな 同じように 同じ単語を
使うんだろ・・ 」と 不思議でたまらなかったよ。
私の 生活圏内では
使った事もなく たぶん 口にしても
ピン!とこない人ばかりだったんだよね。
今では 聴きなれてしまい(笑)
いちいち 引っかかりもしなくなってww
私も 通じる人には 使ってみたりもする^^
昨日 TVで ぢんさんが 「 許可をする 」と
言ったのを聴いて
私的には キターーーー!って 拍手だったんだけど
娘が 「 へんなの・・ 」 と ひと事。
「 言ってる意味や 雰囲気は わかるけど
自分で 決めて生きてるのに
なんで 自分を許すシステムなのか
わからない。
自分で また 決め直せばいいだけなのに
大袈裟だよね・・・って 」 って 偉そうに のたまわった。
私は すかさず
「 そうだよ 自分で 決めたら それでいいんだよ 」
って 言ってみた
これから 彼女が いろいろを経験してから
味わったらいいと 思う。
どうにも ならない時だってあるさw
苦しがろうが わめこうが
向かっていくエネルギーが その時あれば
向かえばいいし
なんか 力がでない 顔の濡れた アンパンマン状態なら
そっと 逃げたらいいしw
自分に 許可をだすって
今まで 自分を自分で苦しめてた事を
認めて 受け入れるには
なんか 入りやすい言葉なんだよね。
「 もう いい加減 自分を許してあげたら? 」
わかった風に スナックのママに
言われただけで 号泣してた あの頃を
思い出すw
あははは
人間は 悪い事をしたら 罪悪感を持つし
良心の呵責に苛まれたりもする
だけど いいじゃん
そういうのも あっての 今の自分だもん。
いつか 自然に解ける時
その頃の 自分が 可愛いと 思えたり
一生懸命だったよな・・って
振り返ったりしながら
人生は 進むような 気がする。
私たちに 完成形はない
いつだって 旅の途中
それは 晴ればっかりじゃないし
それは うまくいく時 ばかりじゃない
春夏秋冬が あるように
景色は 移り変わるんだ
あたりまえじゃない。
■チャップリンの言葉で
人生は 近くで見ると 悲劇だが
遠くから 見れば 喜劇である。
こんな言葉を 思い出す。
自分という グラスは
常にいっぱいで 溢れている必要はない
時には 誰かに 注いでもらい
時には 誰かに 注いてあげて
しかも 溢れるほど 満たされていなくても
それは それで いいんじゃないかなぁ~^^
駄目なんて事は 一個もないよ。
前に 大学で 社会心理学の先生の
「 世の中を シャンパングラスに たとえた話を 聴いた時 」
私の中 解釈は
どの段の 1個が 足りなくても
タワーが 完成しない 世の中を 感じた。
仕事に就けない人
病気の人
生まれつきの疾患のある人
家族の居ない人
いても 自分はひとりだと 思い込んでる人
人を 愛せない人
そういう人の為に
何が出来るかを 考える シャンパンタワーだった。
まず 自分を満たす事
だけど エネルギーが 足りなかったら
利害関係のない人に
満たして貰ってもいい。
その役目が セラピストだったり
カウンセラーなんでは
ないかと思う ナノなのであった。