おそらく、今年の正月明けから2月ごろのことだと思う。居住地では最も寒い時期で、20年近く前に買った防寒ジャンパーを着て、いつものとおりの散歩コースを歩き、公園に着いた。
 公園を取り巻くように、レンガ敷きの散歩道が造られている。このレンガ道を周回するのが毎日の散歩の中心である。1周を8分くらいで歩き、その日の体調によって何周するかは異なるが、たいていは2~5周くらい歩いて公園を出て帰路に就く。

 この日、2周くらい回ったとき、どこからともなく「(素人学者)さん!」と、私の苗字を呼ぶ声がした。公園には人影がない。きょろきょろして声の主を探していると、公園の西側に3軒並んで建っているうちの真ん中の家の窓から、頬杖(ほおづえ)をつく恰好で老人が「こっちだよ」と再び声をかけた。
 老人は、30数年前、私が20代の頃の勤務校でお世話になったT先生だと、すぐにわかった。ポロシャツの上にセーターを着ていた。たしか私の父と同い年の昭和6年生まれだった。
 「(素人学者)さん、いつも、一人で歩いているのかい?」
 「はい。腰痛予防の散歩です」
 「ふ~ん・・・」
 「では、失礼します」
と、こんな会話だったと思う。
 数メートル歩いて振り返ると、すでに窓は閉まり、カーテンで覆われていた。
 レンガ道を周回し、もう一度T先生がいた家の前まで来たとき、表札を見ると、まったく異なる名前の夫婦連名の表札だった。この家の窓は、その後、カーテンが閉め切りである。

 半年以上前の、こんな話を思い出したのは、数日前、母のお茶飲み友達からT先生の消息を伝え聞いたからである。
 それによれば、T先生は公園前の家にいるはずのない人で、私が出会うはずのない人なのだ。そういえば、私の父はすでに他界しているが、同い年だとすれば現在のT先生は80代半ばである。私が散歩中に出会ったT先生の風貌は30数年前と変わらず、50代に見えた。
 まったく不思議な話である。