さて、今年初めての茶道講座は、
茶道のたしなみ~和菓子の世界。
和菓子の歴史を振り返りながら
ターニングポイントとなった唐菓子、和菓子、
そして現代の作り手による創作落雁を
お召し上がり&お土産でお持ち帰りいただきました。
以下は講座でお話したお菓子のご紹介と
歴史のお話ですので、ご興味のない方は
長文ですのでスルーしてくださいませm(_ _ )m
+++++
出掛けにハプニングが在り、講座に遅刻するという
ありえない事態で。。。申し訳ございません。m(_ _ )m
お越しくださった皆様、ありがとうございました。
会場は、Colorboration様のスタジオをお借りしました。
鳥沢さん、ご参加くださり、またかなり
お手伝いをしてくださってありがとうございました。
和菓子って、どんなイメージですか?
お饅頭、ようかん・・・
材料を混ぜ合わせて、蒸したり冷やしたり
焼いたりしたもの、というイメージですよね。
ところが、古代の日本では菓子は果子。
栗や柿などの木の実のこと。

「果」の字を分解しますと、なるほど、木の上の田=実
と見ることが出来ます。結果だって、実るもの、ですものね。
それを裏付けるエピソードとして、
兵庫県中嶋神社に伝わる、お菓子の神様
田道間守(たじまもり)についての説話を
ご紹介しました。
その中に、「菓」という文字が出てくるのですが
このみ、と読みます。つまり、菓=このみ→木の実
というわけです。
ところが、仏教伝来とともにその儀式に使うものとして
唐菓子が入ってきました。
こちらは、木の実を生地でくるんで、ごま油で揚げたもの。
せいぜい加熱したり捏ねたり、あく抜きするくらいしか、
食べ物の加工をしなかった日本人は
これを見て驚いたのです。
しかも、中国では菓子、と表記していたそうです。
その後、日本でも果子を菓子と書くようになりました。
そして、菓子は手を加えて作るもの、となったのです。
ちなみに、この唐菓子(とうがし)は、「からくだもの」
(漢字は同じ)とも呼ばれていました。
そう、昨年の大河ドラマ・平清盛が宋から輸入していたのも
このようなものだったのです。
仏教伝来以後も、唐菓子は日本でも作られる一方
輸入もされていたのです。
その仏教伝来の頃に伝わった唐菓子は、今も
多少変更があっても、今も作り続けられていて
唯一市販されているのが、こちら。
そして、日本人が始めて作った日本のお菓子
文献資料に残る、第1号の和菓子がこちら。
椿餅です。
東京では、ほとんど取り扱いがなく
いろいろ調べたところ、とらやさんが今月24日まで
扱いがある、とのことで、予約して朝取りに行きました。
当時は、餅に肉桂や甘葛を混ぜたもの。
ところが、現在とらやさんで作られているものはあんこ入り。
現代風に、アレンジされているそうです。
しかしながら、肉桂(いわゆるニッキ)の香りと
味はしっかり残っていて、当時を偲ばせます。
京都のあんこ入り「おたべ」「八ツ橋」に味が似ています。

ついつい美しい色合いのものに惹かれてしまいますが、
年に一度いただいて古代に思いをはせるのも
素敵なことだと思いません?
こちら、虎屋茶寮でも今月24日までお店に在庫があれば
いただけるそうです。
ちなみに、今月にお勧めの商品に虎屋饅頭がありますが
こちらも中国からの渡来僧から伝えられたもの。
今度いただいてみますね!
話を歴史に戻しまして。。。
唐菓子により、加工したものをお菓子として
作るようになりましたが、まだまだ上流階級など
ごく1部の人々のみが見知って、食せたもの。
そして、室町時代には、禅宗とともに茶と点心が
伝わり、発達していきます。
饅頭が伝わったのもこのころ。
しかし、まだまだ饅頭はお菓子ではなく食事の一部
という意味での間食でした。
そして、戦国時代。南蛮から西洋菓子がもたらされ
砂糖を使った甘いもの、が伝わります。
信長が宣教師から金平糖をもらったのも
かなりインパクトのあることでした。
日本には砂糖がなかったため、南蛮からは
鉄砲だけでなく砂糖も輸入したのです。
金銀が出て行きましたが。
利休の登場でわかるように、茶の湯も発展していき
いわゆる菓子に「銘」がつき始めます。
そして、江戸時代8代将軍吉宗が砂糖の栽培を
奨励し、サトウキビから砂糖が作られるように
なりました。
初めて国産で砂糖が取れるようになったのです。
戦が終わり、時代が安定し、材料が流通し
ようやく和菓子を庶民も楽しめるように
なります。
現代と同じレシピや製法で作られるようになりましたのは
元禄文化の頃。
江戸時代中期には、男性用の常識マニュアル本とも言える
男重宝記では、イラストとともに和菓子の「銘」が
250種類も紹介されていたそうです。
ちなみに、女性版「女重宝記」もあったそうで
こちらは菓子の銘よりも、食べ方(マナー)が
紹介されていたそうですが・・・
明治時代にアンパンがつくられ、それ以降は
そう大きな流れはなかったようです。
戦時中(太平洋戦争or二次大戦)に砂糖の
統制が在り、お菓子が作れなくなりました。
戦後、砂糖の統制が撤廃され
ふんだんに市場に供給されるようになり
いままでの反動が一気に出て、お菓子は甘く甘く
作られるようになったのだそうです。
いまでは、お菓子の甘さがコントロールされて
「甘すぎない」が味のほめ言葉になっていますが
そんな背景があったそうですよ。
現代では、和菓子と洋菓子はお互いの素材や
製法を使っていて、境目がだんだんなくなっているようです。
ソロモン流でも紹介された、「焼きマカロン」も
そうですよね→☆
そして、お干菓子は伝統的な和菓子を作ってきた作り手が
その当時を思い起こし、現代「いま」を和菓子にした
落雁をお出ししました。
ハート型の和三盆は、両口屋是清のもの。
講座にお越しくださった、先輩のおもたせでした。
A先輩、ありがとうございました。ごちそうさまでした!
茶道のたしなみ~和菓子の世界。
和菓子の歴史を振り返りながら
ターニングポイントとなった唐菓子、和菓子、
そして現代の作り手による創作落雁を
お召し上がり&お土産でお持ち帰りいただきました。
以下は講座でお話したお菓子のご紹介と
歴史のお話ですので、ご興味のない方は
長文ですのでスルーしてくださいませm(_ _ )m
+++++
出掛けにハプニングが在り、講座に遅刻するという
ありえない事態で。。。申し訳ございません。m(_ _ )m
お越しくださった皆様、ありがとうございました。
会場は、Colorboration様のスタジオをお借りしました。
鳥沢さん、ご参加くださり、またかなり
お手伝いをしてくださってありがとうございました。
和菓子って、どんなイメージですか?
お饅頭、ようかん・・・
材料を混ぜ合わせて、蒸したり冷やしたり
焼いたりしたもの、というイメージですよね。
ところが、古代の日本では菓子は果子。
栗や柿などの木の実のこと。

「果」の字を分解しますと、なるほど、木の上の田=実
と見ることが出来ます。結果だって、実るもの、ですものね。
それを裏付けるエピソードとして、
兵庫県中嶋神社に伝わる、お菓子の神様
田道間守(たじまもり)についての説話を
ご紹介しました。
その中に、「菓」という文字が出てくるのですが
このみ、と読みます。つまり、菓=このみ→木の実
というわけです。
ところが、仏教伝来とともにその儀式に使うものとして
唐菓子が入ってきました。
こちらは、木の実を生地でくるんで、ごま油で揚げたもの。
せいぜい加熱したり捏ねたり、あく抜きするくらいしか、
食べ物の加工をしなかった日本人は
これを見て驚いたのです。
しかも、中国では菓子、と表記していたそうです。
その後、日本でも果子を菓子と書くようになりました。
そして、菓子は手を加えて作るもの、となったのです。
ちなみに、この唐菓子(とうがし)は、「からくだもの」
(漢字は同じ)とも呼ばれていました。
そう、昨年の大河ドラマ・平清盛が宋から輸入していたのも
このようなものだったのです。
仏教伝来以後も、唐菓子は日本でも作られる一方
輸入もされていたのです。
その仏教伝来の頃に伝わった唐菓子は、今も
多少変更があっても、今も作り続けられていて
唯一市販されているのが、こちら。

京都・亀屋良永の 清浄歓喜團です。
巾着型でかわいらしいですよね。
蓮の花をかたどった八葉、金袋の形を
模したものだとか→☆
こちら、百貨店でも銘菓おとりよせ
コーナーにあるのです。
底を指で押し上げて2つに割り
オーブントースターかフライパンで
暖めてお召し上がりを。
カリカリ風味と、ニッキやスパイスの効いたあんこを
楽しむことが出来ます。
抹茶にももちろん合いますが、コーヒーでも
美味しいかと思います。
そして、日本人が始めて作った日本のお菓子
文献資料に残る、第1号の和菓子がこちら。
椿餅です。
東京では、ほとんど取り扱いがなく
いろいろ調べたところ、とらやさんが今月24日まで
扱いがある、とのことで、予約して朝取りに行きました。
当時は、餅に肉桂や甘葛を混ぜたもの。
ところが、現在とらやさんで作られているものはあんこ入り。
現代風に、アレンジされているそうです。
しかしながら、肉桂(いわゆるニッキ)の香りと
味はしっかり残っていて、当時を偲ばせます。
京都のあんこ入り「おたべ」「八ツ橋」に味が似ています。

ついつい美しい色合いのものに惹かれてしまいますが、
年に一度いただいて古代に思いをはせるのも
素敵なことだと思いません?
こちら、虎屋茶寮でも今月24日までお店に在庫があれば
いただけるそうです。
ちなみに、今月にお勧めの商品に虎屋饅頭がありますが
こちらも中国からの渡来僧から伝えられたもの。
今度いただいてみますね!
話を歴史に戻しまして。。。
唐菓子により、加工したものをお菓子として
作るようになりましたが、まだまだ上流階級など
ごく1部の人々のみが見知って、食せたもの。
そして、室町時代には、禅宗とともに茶と点心が
伝わり、発達していきます。
饅頭が伝わったのもこのころ。
しかし、まだまだ饅頭はお菓子ではなく食事の一部
という意味での間食でした。
そして、戦国時代。南蛮から西洋菓子がもたらされ
砂糖を使った甘いもの、が伝わります。
信長が宣教師から金平糖をもらったのも
かなりインパクトのあることでした。
日本には砂糖がなかったため、南蛮からは
鉄砲だけでなく砂糖も輸入したのです。
金銀が出て行きましたが。
利休の登場でわかるように、茶の湯も発展していき
いわゆる菓子に「銘」がつき始めます。
そして、江戸時代8代将軍吉宗が砂糖の栽培を
奨励し、サトウキビから砂糖が作られるように
なりました。
初めて国産で砂糖が取れるようになったのです。
戦が終わり、時代が安定し、材料が流通し
ようやく和菓子を庶民も楽しめるように
なります。
現代と同じレシピや製法で作られるようになりましたのは
元禄文化の頃。
江戸時代中期には、男性用の常識マニュアル本とも言える
男重宝記では、イラストとともに和菓子の「銘」が
250種類も紹介されていたそうです。
ちなみに、女性版「女重宝記」もあったそうで
こちらは菓子の銘よりも、食べ方(マナー)が
紹介されていたそうですが・・・
明治時代にアンパンがつくられ、それ以降は
そう大きな流れはなかったようです。
戦時中(太平洋戦争or二次大戦)に砂糖の
統制が在り、お菓子が作れなくなりました。
戦後、砂糖の統制が撤廃され
ふんだんに市場に供給されるようになり
いままでの反動が一気に出て、お菓子は甘く甘く
作られるようになったのだそうです。
いまでは、お菓子の甘さがコントロールされて
「甘すぎない」が味のほめ言葉になっていますが
そんな背景があったそうですよ。
現代では、和菓子と洋菓子はお互いの素材や
製法を使っていて、境目がだんだんなくなっているようです。
ソロモン流でも紹介された、「焼きマカロン」も
そうですよね→☆
そして、お干菓子は伝統的な和菓子を作ってきた作り手が
その当時を思い起こし、現代「いま」を和菓子にした
落雁をお出ししました。
ハート型の和三盆は、両口屋是清のもの。
講座にお越しくださった、先輩のおもたせでした。
A先輩、ありがとうございました。ごちそうさまでした!
お抹茶は、こちらを使いました。
「綾鷹」で話題の、上林春松店
「綾の森」です。
ワンサイズ下の20gは
普段美味しいお抹茶をお召し上がりの
諸先輩・後輩方にも、美味しい!と
評判でした。
関東の百貨店では、浦和と新宿伊勢丹さんで
購入可能です。
ご参加くださった皆様、行き届かない点も在り
大変失礼いたしました。
スタジオをお貸しくださった鳥沢さん。
いろいろとお世話をおかけしました。
ありがとうございました。
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