【東大教室】ブログ上公開演習➌-2(解説)の続きです。

*問題は、【東大教室】ブログ上公開演習➌-1(問題)で確認してください。

 

演習➌ 中世(政治) 鎌倉時代の法と裁判

 

解説

 

設問C 所領裁判のもつ問題点

 

鎌倉幕府が創設されたころ、御家人たちの訴えは将軍の直接的判断にゆだねられていた。

 

設問Bで論述を求めた、法曹官僚のもとでの三問三答を原則とするシステムは、長い時間をかけて整備されていったもので、北条泰時(執権在職1224~1242)の時代に原型が固まり、北条時頼の治世下(執権在職1246~1256)において完成をみた。

 

世界史的にみても例がないといってよいほど高度な訴訟制度は、いうまでもなく、将軍による直接的な判断のもたらす弊害(恣意的な裁断など)を極力排除して公正さを求める意思に支えられ、幕府成立以降、50年以上の歳月をかけて整えられていった。

しかし、それはすべての御家人層にプラス効果だけをもたらしたわけではなかった。

 

文章(1)に記した阿仏尼による訴訟(1275年にまず六波羅探題に提起された)は、ちょうど蒙古襲来(1274・1281)の時期にあたり、幕府側は政治的な余裕を失っていた。

しかし、この事情を最大限勘案したとしても、最終解決(1313)までに40年近くの時を要するというのは気の遠くなるような話である。

 

また、阿仏尼は数年鎌倉に滞在して没することになるが、相当の経済力がなければ、息子のために決意した東国での旅暮らしを維持することさえ困難だっただろう。

さらに、訴状と証拠書類の提出、訴状・陳状の応酬、口頭弁論へと進んでいく過程で、これらを着実にこなしていけるだけの正確な訴訟知識も必要になる。

 

鎌倉時代には、不法に所領を奪われたと感じながら、幕府への出訴をあきらめるしかなかった人々(後家や両親に先立たれた少年など一族内の弱者)が無数にいたと考えられる。

文章(2)に示した「佐野源左衛門」の話は、こうした現実のなかから生みだされ、だからこそ広く共感をよぶことになった。

 

解 答

鎌倉時代の所領裁判は、公正さを重んじたため解決までに長い時間を要し、それに伴う経済的負担も覚悟しなければならなかった。

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