*問題は、【東大教室】ブログ上公開演習➋-1(問題)で確認してください。
演習➋ 古代(総合) 受領とその地方支配
解説①
受領とその地方支配をテーマにした論述問題。
まず、本問に関わる部分を中心に土地制度史のイロハを解説し、そのうえで、設問のポイントを整理することにしたい。
■律令制下の土地・人民
7世紀後半、天皇を中心とする中央集権国家(律令国家)を支えていくために、律令政府は、土地と人民の支配について次のような基本方針を採用した。
【土地・人民支配の基本方針】
➊ 公地公民制
富の基盤である土地と人民は、国家が所有する。
なお、この用語はあくまでも学術用語で、律令には公民の語がないなどの弱点を含んでいる。
➋ 個別人身支配
国家が個々の人民を直接把握し、庸・調・雑徭などの人頭税(土地や物ではなく人を対象に課す税)を徴収する。
具体的にいうと、政府は、6年ごとに6歳以上の男女に口分田を与え(班給)、死後とりもどす(収公)というサイクルを確立することで、課税対象者の確保をめざす班田収授法を機能させようとした。
このために作成された戸籍と計帳の役割の違いを確認しておこう。
【戸籍と計帳】
➊ 戸籍
口分田班給などのために人民を登録した基本台帳。
6年ごとに作成した(六年一造の造籍)。
令の規定では30年間保存されたのちに廃棄されることになっていたが、当時、紙が大変貴重だったために、現実には廃棄されずに他の官庁・官寺などで裏面が再利用された。
➋ 計帳
調・庸などを徴収するための台帳(課役賦課の基本台帳)。
毎年作成。
そこには、性別・年齢などから個々の身体的特徴までが記載された。
■公地公民制の動揺
しかし、奈良時代には早くも、地域社会の様子に変化が生じていく。
具体的には、人頭税を中心とする重すぎる負担(特に雑徭・兵役、運脚など)から逃れるため、農民の浮浪・逃亡(口分田の耕作を放棄し戸籍に登録された土地を離れること)、さらに少しのちになると偽籍(戸籍に性別・年齢などを偽って記載すること)などの行為があいつぎ、そこに人口の増加も重なって口分田の荒廃や不足が重大な問題となったのである。
政府(橘諸兄政権)は、試行錯誤のすえ、743(天平15)年、墾田永年私財法を発して事態に対応しようとした。
【墾田永年私財法】
➊ 墾田永年私財法の内容
開発した田の永久私有を承認。
位階別に開墾面積が制限(500町~10町)され、土地開発者として貴族・大寺院・地方豪族が想定された。
日本の律令制には国家が墾田を把握する規定がなかったため、この点からみると、墾田永年私財法は律令に欠けていた土地支配の仕組みを補完する性格をもち、律令制を充実させる法令だったととらえることができる。
➋ 墾田永年私財法の変遷
のち、道鏡政権下の765年に寺院と農民以外の開墾は一時禁止された(加墾禁止令)が、光仁天皇の時代にあたる772年、再び開墾とその永久私有が認められた。
貴族や大寺院は、競うようにして土地の開発を進めていった。
これによって拡大した私有地のことを、初期荘園と呼んでいる。
したがって初期荘園とは、墾田永年私財法などにもとづいて、貴族や大寺院が土地の開発、墾田の買収をおこなって獲得した、輸租(租を国家に納める義務があること)を原則とする荘園、ということになる。
開発は付近の農民を雇って進められ、そののちも賃租(農民に土地を貸して収益をあげること)と呼ばれる方法で経営された。
しかし、多くの初期荘園は、特定の荘民をもたず、国家機構やその地域の有力者(郡司)などに依存して労働力を確保したため、9世紀以降、郡司の後退・弱体化とともに衰退していくことになった。