地球は水の惑星、地表はすべて海だった。原始の地球上で無機物からアミノ酸などの低分子化合物が形成され、やがて生体構成物質となるタンパク質や核酸などの高分子化合物が生成された。地球の歴史、生物の歴史は進化論にも色んな説があるようによくはわかっていない。あくまでこうだろうと言う事だ。習った常識は「常変識」でもあり移り変わる。
生命について人間にはいまだわからないことのほうが多い。植物性プランクトンから動物性プランクトンが生まれたが、動かない道と動く道に分かれた理由はわからない。野人には植物の知恵がそうさせたように思える。自らさらなる進化を進める為に。
一般的には知能を持つ動物のほうが進化しているように思われているが決してそうではない。動かない道を選んだのは別の知恵の使い方があったからだろう。長い間捕食動物で多くの動物と接してきた野人でさえ、動物よりも植物から学んだ知恵のほうが圧倒的に多い。地上の動物で最高の知能は人間、植物は動物の下に見られているが、そこに人間のおごりがあるようだ。人間社会で言うなら、最高齢の縄文杉を社長に、樹齢数千年の取締役、数百年の管理職、その他の樹木や草が社員で、創成期を支えた社員、海の藻類はいまだに無傷のまま健在で、地上の酸素供給に欠かせない。すべての動物は、彼らのパート社員のようなものかも知れない。
人の科学は、考古学、化石などから、人の祖先はチンパンジーだ、象の祖先はマンモスだとか迷走しているが、植物は創成期からそのほとんどが生き残り、ピンピンして元気そのものだ。このことを人間はどう考えているのだろうか。科学は多方面に伸びたが、一番の目的は文化生活よりも「長生き」「不老長寿」ではないだろうか。その分野の医学の研究結果は言わずとも現状が物語っている。病気になってからの対処療法、延命処置など、「生命の本質」を理解してはいないように思える。
長く生き残る、子孫を残すということにすべてをかけて道を選んだ藻類、その形が樹齢数千年の樹木なのだ。古代の人達はそこに聖霊を感じて敬った。その思いは今もなお続いている。今も藻類で地球の全ての生命を支え、空高くそびえて生き物を見守る大樹。その大木を切り倒すのは地球上では道具を使う人間だけだ。木はさぞかし枝をしかめて眺めていることだろう。多くの生き物が迷惑するのだ。人間を育てた事を悔やんでいるのかも知れない。しかしその存在はビクともしない。時が経てば必ず元に戻る。
知恵は体重に対するノウミソの重さに比例すると人間は説くが、どうもそうではないようだ。木のノウミソなどいまだに見たことがない。あればとうに試食している。