自然治癒力が発揮される条件 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

生き物はすべて自然治癒力を持っている。

自然治癒力とは元の細胞に戻ろうとする復元力のようなものだ。

細胞が傷つくと酵素が働き、あっと言う間に修復する。

箇所によっては生命維持に関わるからだ。

動物も植物も事故に遭い怪我もする。

それらは外的要因で細胞が故障したわけではない。

体内も同じで必ず故障しないようになっている。

それにも関わらず多様な病気になるのはやはり事故なのだ。

基本的には自然界の生き物に病気などはない。

自分の意思で何か余計な事をしたから起こるべくして起こった事故といえる。

「外的には体に何をしたか」、「内的には何を食べたか」だろう。

食べたと言っても体に悪いものとは限らず、本来の必要なものを食べずに色んな物を食べてそれをおろそかにすれば、やはり余計なものばかり食べたと言う事になる。

天災的な事故は別にして自ら招く事故はこの二つしかないのだ。

症状が起きてから自然治癒力を期待しても望めない。

体が対応出来なくなったから発症したのだ。

自らの治癒力を望むなら体を元の状態にするしかない。

元の状態とは、体に一切余計な事をせず、余計なものを食べず、本来必要なものを食べるようにすれば良い。

それが何かは自分で考えて決めるしかない。

頭の中に余計なものを持ちすぎているとそれに気付かない。

何が余計で何が必要かの判断が出来ない。

メディアや本の内容を鵜呑みにしたり、習慣や感性ではなく、生命について原点から学べばわかるはずだ。

人の科学は完全ではないが多くの先人達の発見がある。

野人はそれに敬意を表しているが間違いも多い。

間違うのはそれらに「横の繋がり」がないからだ。

専門的には素晴らしいが全体を組みたてればお粗末過ぎる。

奏者は素晴らしいがオーケストラの体を成さないのと同じで指揮者不在なのだ。

だからごく簡単な「連立方程式」が成り立たなってしまう。

やはり自分の力で組み立てて判断する、それしかないようだ。

自然治癒力を期待するなら体には一切余計な事はしないことだ。

全ての動植物の表皮も毛も脂分と微生物に守られ、内皮である粘膜は微生物と特別な酵素に守られている。

人間が何を吼えようがそれが森羅万象だ。

外的には、人が体に塗るものだけでなく、自然界には塩素殺菌された水さえも存在しないのだ。

どの程度かはわからないが目や鼻や喉の粘膜に影響があるだろう。

内的には、野生の生き物が何を食べて病気をしないか観察すれば良い。

彼らは火を使わず植物も育てない。

養分で細胞が膨らんだ草は、余計な成分を分散させる「土壌浄化」の過程の異物であり、食べて地表に分散するのは虫の仕事だ。

それと同じものを人間は当たり前のように食べ、農業はそれを「常識」としている。

本来の食べものを食べる、それが体を中立に戻し、自然治癒力が戻る条件だろう。

余計なものを食うなとは言わないが、少し減らして本来のものを取り入れればそれでいい。

本来の食べ物が流通していないのが内的要因の最大の原因だ。

本来のものとは植物であり、売ってないならその辺で採って来れば良いではないか。

何もスーパーと心中することはない。

これまでの食生活に1割程度取り入れれば十分だろうと野人は考えている。

今さら人間は山羊にはなれないが、人間の体を健康に保つのは他の動物と同じように植物だ。

植物を研究して数十年、今の野菜はすべて本来の植物とは言い難い。

自然治癒力は道理がなければ不完全だ。

人が育てる養殖野菜に自然治癒力は期待出来ない。

養分や薬効ばかり求めて最も大切な事を見失っているようだ。

姿形なども含めて求めるものが多すぎるからさらにそれらも薄くなる。

おかしな常識が人の体を弱くしている。