世の中に対して、何も奉仕をしていない人に、努力を怠っている人に、簡単にお金が集まってくることは、まずありません。
謙虚に努力をすることで、ようやくお金が入ってくるのです。
これは、「経済」の根本的な、大原則です。
「貧乏」という文字は、「貝」と「分」と「乏」の3つから、できています。
大昔は、貝をお金として、使っていました。
つまり、「貧乏」とは、「貝(お金)を分ける気持ちが、乏しい」という意味だそうです。
「自分は貧乏だ」と思うと、手持ちのお金を減らさないよう、ますますケチになり、人に与えなくなります。
そうすると、ますます人から嫌われ、いい仕事がこなくなったりします。
そして、さらに貧乏になってしまうという、「貧乏スパイラル」に、入ってしまうのです。
まずは、少ないお金を、無理してでも誰かと分かち合うことで、豊かさへの道が開かれる。
~お釈迦様が考えられたと云われている、「托鉢(たくはつ)行」。
2500年前、ある時、お釈迦さまが、突然、弟子たちにこう言ったそうです。
「明日から、みんなで、お椀を持って、托鉢に回ろう。
ただし、金持ちの家を回ってはならない。貧しい人々の家を回って、托鉢をしてきなさい」
弟子たちは、非常に驚いて、
「お師匠さま、それは、言い間違いですよね? 貧しい人々の家を回ってはならない、金持ちの家を回りなさい、と言いたかったのですよね?」
お釈迦さまは、
「間違って言ったのではない。もう一度言う。金持ちの家を回ってはならない。貧しい人々の家を回り、托鉢をしてきなさい。
そのために、苦しんでいる。その貧しさの苦海から救ってやる為、托鉢行というものに出かけるのです」
自分には、施しをする力がない、財力がないから施しができない、と思ってしてこなかった人は、
実は、しなかったがゆえに、財が入ってこなかったのだ。
「先に施しありき」で、まず先に人に喜ばれるように、自分ができる限りのことをする、ということが、
やはり、宇宙の性質であり、経済の法則だと、お釈迦さまは、2500年前に説いていたのだそうです。
よく駅前などで、托鉢行をしてらっしゃる僧侶の方がいますが、私たちがお金を入れると、托鉢行の僧は、
「ありがとうございます」とは言わずに、お経を唱えて、チリーンと鳴らして合掌して終わりです。
それを見て、「お金を、入れてあげたのに、ありがとうございますと、言わないじゃないか。」
と言うのは、本来の意味を、知らない人。
お金を入れた側の自分が、「ありがとうございました」と言うのが、正しい作法。
「私」のお金を、正しく美しく使ってもらうために、生活に差し障りのないお金を持っていって、喜んでさせていただく。
「ゆとりがあったら、施しができるのに」と思っている、ゆとりのない人は、
施しをしてないがゆえに、ゆとりがないんだ、ということです。
「精神世界の鉄人」エッセイ集 から抜粋させていただきました。
とても分かり易く噛み砕かれて読みやすいです。
シェアをありがとうございます。
そして、愛されたければ、まずは、先に、人を愛すること。
これも、同じ原理ですね。
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昨日いらしてくださいました、T様とお嬢様。
毎回、施術料金のお支払いが、粋で、感動してしまうのです。
今回も、設定料金以上の料金をいただいてしまいました。
まだ、オープンしたての頃も、どうかご笑納ください、と多くいただいたのでした。
そのお気持ち、なんて粋なんでしょうか!
そのお気持ち以上に、精進し、答えて参りたいと思います。。
わたし自身、お客様に育てられています。
大変、大変、ありがとうございます。
もちろん、小さな庭に、いただいたお金は、良い循環となりますよう、美しく回させていただきます^^
少しずつ、いろいろ、寄付に回させていただいております。
清く、正しく、美しく。
そして、純粋な思いから。
愛と感謝をこめて