腑に落ちる答えは出てこなかったが、答えてくれた方の価値観がわかって興味深く感じた。
その明確な答えを与えてくれたのが、作家の橋本治さんである。
たしか評論集の『貧乏は正しい』という本にあった一節。正確でないが、「若いってのは貧乏くさいってのと同じ」といったことが書かれてあって、「そうか!」と思わず声を上げてしまった。
橋本さんは論を展開するときに、途中の論理を抜いてぽんぽん跳んでいくような印象がある。
頭の良い方なので「論理の飛躍」でなく、たんに「略している」ということなのだろう。発想型思考とでも言うべきかもしれない。
これをわかりにくいと感じる面もあるが、逆にあいだを自分で埋めて考えるという楽しみもある。
私は後者で楽しんだ。「なんで突然こんなことを言ったんだろう?」としらばく考えていると、「そうか!」と突然ひらめく。
橋本さんの本はそういう読み方ができるので、ある時期、夢中になって読んだ。何を読んでも飛躍を感じ、あとで納得が来るという感じだった。
これが橋本さんの本を読むときの醍醐味だった。
ただ、「若いってのは貧乏くさいってことだ」という一節は読んだと同時にピンと来た。そのことについてずっと考えてきたからだ。
では、若さとは何だろうか?
大きなヒントがある。人は若さをうらやましがることがあるし、若さをバカにすることもある。若さについては両極端な評価が成立する。
これが成立するのは、若さが「可能性」のことだからだ。
若いというのは「まだできない」ことであり、「まだ達していない」ことであり、「まだやったことがない」ことである。言い換えると、若さは「いつかはできる」「いつかは達する」「いつかはやる」という可能性が残っていることと同意である。
若さをうらやむというのは、「これからできるという喜びがある」という将来をうらやんでいるわけだ。逆に「まだできないのか」とバカにすることもできる。どちらの面を見るかの違いである。
「若いってのは貧乏くさいってことだ」というのは、まだ達していない未完成品ということである。見識もセンスも経済力もともなわず、アンバランスに試行錯誤しているからこそ貧乏くさい。
ただし、念のために付け加えるが、貧乏くさいということが若さなのではない。若さにならない「単に貧乏くさい」という状態もありうる。
では、逆に「若くない」とはどんな状態なのだろうか?
これには私が考えるに大きく2つのタイプがある。
1つは「達した」ということである。簡単に言えば、成熟した大人になったということだろう。何を持って成熟したと言うべきは曖昧だが、「若さ」の大きな部分を克服して、精神的な未熟さが気にならなくなった状態ではないかと思う。
持って回った言い方になったが、簡単に言えば、「自分は未熟だと平気で受け入れられる」ことである。
もう1つは、未来を諦めた状態である。そういった人は意識が過去に向く。
この2つのうち、ほとんどの人・・・と言うと言いすぎだが、かなり多くの人が後者に属するのではないか。
たとえば、「俺の若い頃は」とよく言う人のほとんどが後者だろう。
これは、未来を向くのが面倒になって、過去を見るようになった証拠である。私たちが過去を語るとき、必ず何らかの脚色をする。多くの場合、自分の都合の良いように美化する。
可能性というものをなくし、それでも尊敬心を得ようと若者に過去を脚色して語る人を、私たちは「おっさん」と呼ぶ。
ごくデフォルメすると、「俺はビッグになる!」と言うのが子供、「私は未熟です」と言えるのが大人、「俺は(本当は)ビッグだ」と言いたがるのがおっさんである。
たとえ10代でも、たとえ女性でも、「私たちの若いときは」なぞと言い始めたらおっさん化していることを疑ったほうがいいかもしれない。

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