※ラスボスとはゲームの最後に登場する敵のことです。たぶんラストに出てくるボスキャラクターということでしょう。これを打ち倒せばみごとエンディングです。
ある日のこと、東京郊外のラーメン屋さんに入ると、テレビが置いてあり、NHKの『クローズアップ現代』が流れていました。どうやら、若者と携帯メールについての特集しているようです。あまり見ることのない番組ですが、女性キャスターが専門家1人と対話しながら番組をテンポ良く進め、だんだん引き込まれていきました。
そこに出てくる携帯メールの実態に唖然(あぜん)としました。具体例は忘れましたが、「いる?」とか「いいよ!」など、ごく短いことばばっかりだったからです。これが気の遠くなるような回数交わされています。私など、そんな短いやりとりなら、通話してささっと終わらせたほうが時間が無駄にならないのにと感じます。
そして、途中で驚くべきデータが提示されました。ごく簡単に言うと、「メールの時間と成績は反比例する」ということがわかるデータです。もっと簡単に言うと、「メールを長くやる学生ほど成績が悪い!」というデータです。うそみたいな話ですが、すでに統計で証明されていました。じつにわかりやすい話です。
ここでラーメンを食べ終わりました。器が持って行かれました。お客さんはいませんでしたが、ビールと餃子を追加で頼みました。「ふつう逆だろ!」と心でつっこみながら、『クローズアップ現代』でまさかの出費。続きが楽しみです。
さらに説明が加えられます。「メールをやっているとき、脳は活性化しない」。脳の活性化しているところが赤く映し出されますが、メールを打つときは赤色がほとんど見られません。携帯メールで頭は使ってないということです。メールを打つひとほど成績が悪いのだから、当然と言えば当然ですが。
次に紙に字を書くときの脳の様子が写し出されます。脳は真っ赤です。なぜでしょう? 紙に書くときは、「どのペンを使って」「どの位置に」「どれくらいの大きさの字を」「どれくらいの長さの文で」・・・など、決めなければいけないことが山のようにあるからです。簡単に思える「書く」という行為にも決めなければならなことがたくさんあり、その1つ1つに対応するため脳が総動員されています。
さらに、社員研修として漢字の書き取りを導入している会社などが紹介されて番組はまとめに入りました。ちょうど、ほろ酔いでビールの残りがなくなりました。そろそろ出ようかな。
さて、メールが若者に悪影響であることは、NHKの優秀な取材班が証明してくれました。ところで、携帯メールだとなぜ頭が使われないのでしょう?
それは、本来ことばが持っている「含み」というものが排除されてしまうからです。
たとえば、「あんたいい人だね」と言われても、そこにはいろんな意味が含まれている可能性があります。昨日親切にしたことなら文字どおりに受けていいでしょうが、先におやつをひとりじめにしたことを指していたら皮肉の可能性があります。どちらでもなかったら?・・・いろんな可能性があります。
ようは前提が何をとらえることです。話し手には、何か前提があって、それに載せる形で次の発話をおこないます。それが何かは言われませんから、聞き手は、相手の表情、ことばの響き、イントネーション、声の大きさ、該当する過去の出来事などなど、頭をフル動員してその発話の真の意味を決定しなければなりません。だから会話は戦争でもあります。
それに対して、携帯メールにはイントネーションも情報はおろか声もありません。せいぜい「いくの↑」とか「いこうよ
」など、文字いがいのものを足すくらいしか手がありません。そうなると誤解の余地が大きくなる長い文章は打てなくなってしまいます。やがて、「よけいな含みは入れない」という暗黙の了解も出来上がり、短いことばの応酬しか成り立たなくなるのです。会話はもともと「含み」で成り立っています。このようなことを続けていけば、「相手の立場」というものを除外したコミュニケーションしかできなくなってしまいます。
近年、「言われたことしかできない」「ことばの裏をくみとれない」と言われる若者が急増している一員はおそらく携帯メールの長期にわたる使用のが大きな一因になっています。一部の若者にとって、会話は「携帯メールのやり取りを音声化したもの」になってしまっているのです。こうなると、上の世代と下の世代とのコミュニケーションの齟齬(そご)が起きるのは必然としか言いようがありません。
私は決してひとにものごとを強制するのが好きなほうでないつもりですが、あえて言います。携帯メールに一日中夢中になっているお子さんがいたら、ただちに携帯電話を取り上げてください。メールはあくまで会話の比喩であって、会話がメールの比喩なのではありません。携帯メールを長時間を使うと、この関係が逆転してしまいます。
いじめの問題があるかもしれませんが、それは携帯電話があっても同じことです。親はあえて悪者になり、「親からケータイを取り上げられた!」と子供が言って友達の同情を買うようにしくむなどすれば(「しくむ」というか、そのとおりなのですが)、なんとか乗り切れるのではないでしょうか。
ちゃんとした会話ができないうちにメールが中心になってしまえば、時が経ち社会に出て苦しむのはお子さんのほうだからです。「オレはビッグになる」と言いながら、きちんとしたコミュニケーションもできないで苦しんでいる若者を見ると、心が痛くなります。
拙論を最後まで読んでいただいた賢明で我慢強い方々、ありがとうございました。この項を終わります。
(この項終わり)