強烈な印象の夢(2009年1月31日)
僕は夢の途中で目が覚めると、また眠った後にその続きを見ることがたまにある。このメカニズムは他の人はどうなっているんだろうか?
僕は他の人になったことがないので知らないが、普通はそういうことは滅多にないような気がする。いや、なんとなく。
これは1月31日のこと。音楽DVDを見ながら眠り込んでしまい、何かの拍子に目が覚めた。その音楽DVDは終わるとまた最初から始まるようになっており、目が覚めたときにまだ映像が流れていた。部屋の明かりもつけっぱなしである。眠ってから4時間は経っているはずだ。
僕は夢の中で仕事をしていたようだ。どうもリエゾンっぽかった。この詳細は全く思い出せない。ベッドを出てトイレに行き、また眠った。嫁さんはリビングでうたたねをしていた。良くある話だ。
ベッドに戻り眠ると、さっきの夢の続きになったのである。
僕はこれはたぶん夢だと気がついている時と、そうでないことがある。この日はこれは夢だという意識なんて全然なかった。
どうも状況がはっきりしないのだが、たぶん7階建ての病院と思う。精神病院ではなく総合病院だったような気がする。状況がはっきりしないのは夢では良くある。
僕は5階から下に降りようとしたのだが、なぜか上の方に上がってしまった。いったん上に向かったものは仕方がない。僕は上の階に何があるのか知らなかった。最上階の7階でエレベータが止まり、うっかり外に出てしまった。
しまった!そのままエレベータの中におれば良かった。そこは荒れ果てた廃材置き場のような光景であった。死体が置いてあるとか、そういうグロテスクなものはなく、バカに広々としていて寒くて本当に淋しい場所であった。既に個々の病室は取り払われており講堂のようになっていた。この階に限れば、色合いもモノクロぽかった。僕は普通、夢はカラーでみることが多い。
7階は、もう使われなくなった病棟みたいだなと思った。ちょっと考えれば、これほど気色の悪い空間もなかろう。
すぐにエレベータを振り返ると2階まで降りてしまっている。ボタンを押して待つことにした。
ちょっと階段を使って降りようかと思ったが、この荒れ果てた病棟を歩いて行かねばならないのが辛い。床はなんだかゴチャゴチャしていて変なものを踏んでしまいそうなのである。それに階段に何が置いてあるかもわからない。誰かに出会うのも正直怖い。
僕はエレベータと階段はトラウマになっている。(参考)
やっと7階にエレベータが上がってきたので、中に入った。ところがなぜか2m近い黒い革ジャンの大男が背を向けて立っている。彼は7階まで来たのに降りていかない。
僕はエレベータに入り、1階のボタンを押し、扉が閉まった。
ところが、そのエレベータは更に上がり始めたのである。上に上がるのは加速ですぐにわかる。変だと思ったが、よく見ると、なぜかエレベータのボタンが11階まである。
すると、その大男が少しだけ振り返り、
このエレベータは、これから昨日の夕方5時に行く。
と言った。
えっ?!
と僕が聞き返すと、男は「貴方はそのまま普通にしていればいい」なんていう。昨日に行っても僕は大丈夫なのだという。(自分に出会ったりしないと言う意味だと、その夢の中で理解)
その男の顔を見ると、とりわけ変なところはないが、何か苦しそうにしている。
その瞬間、エレベータは11階に着いた。ところが扉が開かず、なぜか11階から急に水平に動き始めたのである。
ここで目が覚めた。
全くやれやれだと思うよ。この夢は印象が強過ぎて、脳を刺激したためか、もう眠れなかった。一気に目が覚めるような悪夢だけど、すごく怖いという場面はない。静かに不気味な感じだ。
この時、ちょっと思ったのだが、総合病院はいろいろな人が入院しているし疾患の種類も多い。不治の病などでもう先がない人たちもけっこういるし、苦しみぬいて亡くなる人も延べで言えば多いはずだ。
僕はやはり総合病院は精神病院などと全く異なる特別な場所だと思う。時々、このような大病院が他所に移転して、跡地に分譲マンションが建てられることがあるが、僕にはあの感覚がわからない。
ふとんの中でこの夢を反芻していた。僕はこの夢の意味がどうとかいうより、近未来や過去に行くという小説やドラマを思い出していた。
北杜夫の私小説で、統合失調症の患者さんの発想でタイムマシンが完成する話が出てくる。実は、この統合失調症の患者さんはその変な発明の話をしたために、精神病院に放り込まれたような人で、強烈なブラックジョークになっていた。
北杜夫のその小説では、このタイムマシンで過去に行き来できることがわかり、
もう、精神病院に仕事に行くのはやめにした。
と書かれていた。この言葉も大爆笑である。ちょっと面白いのは、彼はその後、小説家を本業にし本当に精神科医をやめてしまったこと。この彼の文章は確かに将来を暗示している。タイムマシンの話を書いていて、しかもこの文章は面白過ぎると思っていた。この小説は僕が高校生の時以来、読んでいないので細かい所は間違っているかもしれない。
しかし、彼の患者さんが作ったタイムマシンは過去のある一点しか行く事が出来ない。それも終戦直後の何もない時期にしか行けないのである。しかも紙を持っていこうとすると、過去に着いた時になぜか紙がボロボロになってしまうという。(これはなんとなくわかる)
北杜夫がなぜ精神病院に仕事を行くのをやめたかと言えば、このタイムマシンで途方もない大金が入る可能性があるため、仕事をするのがバカらしくなったからだ。たぶんそんな文脈だったと思う。実際、現代社会でも例えば半年前に行くことができれば、大金を掴むことが可能だ。それは半年後の結果がもうわかっているからである。
しかし、この小説では何もない終戦直後にしか行けないのがミソなのであった。
北杜夫とその患者さんは缶詰を持って過去に行き、闇市でそれを売ってお金に代え、何か価値の高い物を現在に持ってくることを考えた。あの当時は見向きもされないが、今では価値が高いものである。
缶詰を持っていくなんて随分つつましやかであるが、そのくらいしか思いつかなかったのである。それも過去に持っていくと、缶詰に巻いてある紙がボロボロになり、何の缶詰かわからなくなるので、闇市では見本として1つ開缶しておかねばならない。
彼らは美術品に目をつけた。その時代、ある画家はまだ若く酷く貧乏だが、現代社会では大家になっている。その初期の作品を買うことを思いついたのである。彼らはその若い画家の間借りのような部屋を探し当て、いくつか初期の作品を買い叩く。
しかし、1つだけその若者が売りたがらない絵があった。それは、後に彼の代表作になる作品であった。しかし、大儲けすることしか考えていなかったため、無理やりお金にモノを言わせて買っていったのである。
そうして彼らは、現代に戻りその絵を美術商に売りに行った。
ところが、その大家の名前を言っても「それはいったい誰ですか?」と逆に聞き返されたのであった。
その大家とされていた画家は、既に存在しなかったのである。日展で賞を取るような出来の良い絵を買ってしまったことと、あの貧乏な画家になにがしかまとまったお金を渡したことで、彼らは未来を変えてしまったのである。
北杜夫は、「きっとカストリでもあおったんだろう」と。
カストリとは質の悪い酒みたいなものだろうか?と高校生の僕は思った。だいたいそういう内容であった。
この最初の夢の話だけど、昨日の夕方5時に行くというのがわけがわからない。大金を掴んでリタイアしようとする発想自体が僕にはなく、結局はやめるにやめられないと思っているので、1日遡ったくらいではたいしたことにならない。
10年前に戻るならもう少し意味があるような気がするが、1日前ならほとんど何もかわらないと思う。
しかし、一般的には1日戻れるなら、大変なことだと思ったりもする。
うっかり自殺してしまうとか、取り返しのつかない大怪我をするとか、あるいは通り魔殺人に遭遇した人は、人生がやり直せるからである。
僕は他の人になったことがないので知らないが、普通はそういうことは滅多にないような気がする。いや、なんとなく。
これは1月31日のこと。音楽DVDを見ながら眠り込んでしまい、何かの拍子に目が覚めた。その音楽DVDは終わるとまた最初から始まるようになっており、目が覚めたときにまだ映像が流れていた。部屋の明かりもつけっぱなしである。眠ってから4時間は経っているはずだ。
僕は夢の中で仕事をしていたようだ。どうもリエゾンっぽかった。この詳細は全く思い出せない。ベッドを出てトイレに行き、また眠った。嫁さんはリビングでうたたねをしていた。良くある話だ。
ベッドに戻り眠ると、さっきの夢の続きになったのである。
僕はこれはたぶん夢だと気がついている時と、そうでないことがある。この日はこれは夢だという意識なんて全然なかった。
どうも状況がはっきりしないのだが、たぶん7階建ての病院と思う。精神病院ではなく総合病院だったような気がする。状況がはっきりしないのは夢では良くある。
僕は5階から下に降りようとしたのだが、なぜか上の方に上がってしまった。いったん上に向かったものは仕方がない。僕は上の階に何があるのか知らなかった。最上階の7階でエレベータが止まり、うっかり外に出てしまった。
しまった!そのままエレベータの中におれば良かった。そこは荒れ果てた廃材置き場のような光景であった。死体が置いてあるとか、そういうグロテスクなものはなく、バカに広々としていて寒くて本当に淋しい場所であった。既に個々の病室は取り払われており講堂のようになっていた。この階に限れば、色合いもモノクロぽかった。僕は普通、夢はカラーでみることが多い。
7階は、もう使われなくなった病棟みたいだなと思った。ちょっと考えれば、これほど気色の悪い空間もなかろう。
すぐにエレベータを振り返ると2階まで降りてしまっている。ボタンを押して待つことにした。
ちょっと階段を使って降りようかと思ったが、この荒れ果てた病棟を歩いて行かねばならないのが辛い。床はなんだかゴチャゴチャしていて変なものを踏んでしまいそうなのである。それに階段に何が置いてあるかもわからない。誰かに出会うのも正直怖い。
僕はエレベータと階段はトラウマになっている。(参考)
やっと7階にエレベータが上がってきたので、中に入った。ところがなぜか2m近い黒い革ジャンの大男が背を向けて立っている。彼は7階まで来たのに降りていかない。
僕はエレベータに入り、1階のボタンを押し、扉が閉まった。
ところが、そのエレベータは更に上がり始めたのである。上に上がるのは加速ですぐにわかる。変だと思ったが、よく見ると、なぜかエレベータのボタンが11階まである。
すると、その大男が少しだけ振り返り、
このエレベータは、これから昨日の夕方5時に行く。
と言った。
えっ?!
と僕が聞き返すと、男は「貴方はそのまま普通にしていればいい」なんていう。昨日に行っても僕は大丈夫なのだという。(自分に出会ったりしないと言う意味だと、その夢の中で理解)
その男の顔を見ると、とりわけ変なところはないが、何か苦しそうにしている。
その瞬間、エレベータは11階に着いた。ところが扉が開かず、なぜか11階から急に水平に動き始めたのである。
ここで目が覚めた。
全くやれやれだと思うよ。この夢は印象が強過ぎて、脳を刺激したためか、もう眠れなかった。一気に目が覚めるような悪夢だけど、すごく怖いという場面はない。静かに不気味な感じだ。
この時、ちょっと思ったのだが、総合病院はいろいろな人が入院しているし疾患の種類も多い。不治の病などでもう先がない人たちもけっこういるし、苦しみぬいて亡くなる人も延べで言えば多いはずだ。
僕はやはり総合病院は精神病院などと全く異なる特別な場所だと思う。時々、このような大病院が他所に移転して、跡地に分譲マンションが建てられることがあるが、僕にはあの感覚がわからない。
ふとんの中でこの夢を反芻していた。僕はこの夢の意味がどうとかいうより、近未来や過去に行くという小説やドラマを思い出していた。
北杜夫の私小説で、統合失調症の患者さんの発想でタイムマシンが完成する話が出てくる。実は、この統合失調症の患者さんはその変な発明の話をしたために、精神病院に放り込まれたような人で、強烈なブラックジョークになっていた。
北杜夫のその小説では、このタイムマシンで過去に行き来できることがわかり、
もう、精神病院に仕事に行くのはやめにした。
と書かれていた。この言葉も大爆笑である。ちょっと面白いのは、彼はその後、小説家を本業にし本当に精神科医をやめてしまったこと。この彼の文章は確かに将来を暗示している。タイムマシンの話を書いていて、しかもこの文章は面白過ぎると思っていた。この小説は僕が高校生の時以来、読んでいないので細かい所は間違っているかもしれない。
しかし、彼の患者さんが作ったタイムマシンは過去のある一点しか行く事が出来ない。それも終戦直後の何もない時期にしか行けないのである。しかも紙を持っていこうとすると、過去に着いた時になぜか紙がボロボロになってしまうという。(これはなんとなくわかる)
北杜夫がなぜ精神病院に仕事を行くのをやめたかと言えば、このタイムマシンで途方もない大金が入る可能性があるため、仕事をするのがバカらしくなったからだ。たぶんそんな文脈だったと思う。実際、現代社会でも例えば半年前に行くことができれば、大金を掴むことが可能だ。それは半年後の結果がもうわかっているからである。
しかし、この小説では何もない終戦直後にしか行けないのがミソなのであった。
北杜夫とその患者さんは缶詰を持って過去に行き、闇市でそれを売ってお金に代え、何か価値の高い物を現在に持ってくることを考えた。あの当時は見向きもされないが、今では価値が高いものである。
缶詰を持っていくなんて随分つつましやかであるが、そのくらいしか思いつかなかったのである。それも過去に持っていくと、缶詰に巻いてある紙がボロボロになり、何の缶詰かわからなくなるので、闇市では見本として1つ開缶しておかねばならない。
彼らは美術品に目をつけた。その時代、ある画家はまだ若く酷く貧乏だが、現代社会では大家になっている。その初期の作品を買うことを思いついたのである。彼らはその若い画家の間借りのような部屋を探し当て、いくつか初期の作品を買い叩く。
しかし、1つだけその若者が売りたがらない絵があった。それは、後に彼の代表作になる作品であった。しかし、大儲けすることしか考えていなかったため、無理やりお金にモノを言わせて買っていったのである。
そうして彼らは、現代に戻りその絵を美術商に売りに行った。
ところが、その大家の名前を言っても「それはいったい誰ですか?」と逆に聞き返されたのであった。
その大家とされていた画家は、既に存在しなかったのである。日展で賞を取るような出来の良い絵を買ってしまったことと、あの貧乏な画家になにがしかまとまったお金を渡したことで、彼らは未来を変えてしまったのである。
北杜夫は、「きっとカストリでもあおったんだろう」と。
カストリとは質の悪い酒みたいなものだろうか?と高校生の僕は思った。だいたいそういう内容であった。
この最初の夢の話だけど、昨日の夕方5時に行くというのがわけがわからない。大金を掴んでリタイアしようとする発想自体が僕にはなく、結局はやめるにやめられないと思っているので、1日遡ったくらいではたいしたことにならない。
10年前に戻るならもう少し意味があるような気がするが、1日前ならほとんど何もかわらないと思う。
しかし、一般的には1日戻れるなら、大変なことだと思ったりもする。
うっかり自殺してしまうとか、取り返しのつかない大怪我をするとか、あるいは通り魔殺人に遭遇した人は、人生がやり直せるからである。