龍馬伝をテレビでやっていますが、
NHKらしくない撮り方が新鮮で、楽しみにしています。
そして、先日面白いことに気づきました。
民放で「龍馬伝では語られなかった・・・」という主旨の
龍馬の秘密のような特番をやっていました。
すると、
龍馬伝で既に見終わったストーリーのところと
その番組のストーリー(年賦)に微妙に違いが出てきます。
また、当然ですが「セリフ」も違います。
すると、
最初に龍馬伝を見て、それを納得していると、
あとから見たものを「あれはおかしい」と頭が感じている
ことに気づきました。
色んな事に関して、
最初に何かに納得したら、その後に見聞きしたものに対して
「あれは違う」と感じるのではないでしょうか。
例えば、僕が子供のころに聞いた「常識」
「ライスはフォークの背に載せる」
「スパゲッティは、スプーンとともに食べる」
逆に、少し大きくなってから
「本場のイタリアでは、パスタはスプーンを使わないんだよ」
なんて聞くと、
それまで持っていた「スプーンを使う」という常識を否定し、
そうしている人を否定し始めていました。
まるで、一番目の精子が卵子に飛び込んで受精すると、
他の精子が全て入れないように。
「正しい」を一つだけ受け入れると、
それ以外のものがすべて「間違っている」という思考。
このあたりの話だと可愛いのですが、
人生の生き方そのものにも当然同じことが当てはまります。
親は、こどもにこういういいかたをするのが「正しい」
と、いったん納得すると、それ以外の育て方が受け容れられなくなる。
その育て方以外は「間違っている」と思い始める。
親は子供を愛するもの、というのを聞いて納得すると
愛さない親にダメだしをし始める。
他にも
夢や目標は努力して達成するもの
少々のことで不平不満を言ってはいけない
仕事は見て覚えるもの
簡単に弱音を吐いてはいけない、人に手伝ってもらってはいけない
人の言うことは、素直にハイハイと聞くものだ
経営とはこうするものだ
などなど
大人や偉人、成功者の言う「常識」とか「こうするものだ」とか「セオリー」など、
すべてこの法則が当てはまるのではないか、と思います。
あなたには、あなたのやり方があるはずなのに。
特に
「親は子供を愛するもの」
「親は子供を受け容れるもの」
「親は・・・」
それが「理想」「正しいこと」となって、勝手に期待をしてしまい、
それをしてくれない親に対して反発したり、
「私を愛してくれない」なんて言うようになります。
これが不幸の始まりです。
親も完璧ではありませんし、
子育ても「こうするのが正解」というのもないと思うのです。
はっきり言って、
子供を愛せない親もいるし、
そういう親がいてもいいと思うのです。
愛せない時期もあるのです。
愛を表現できない時期もあるのです。
愛の表現方法がわからない親もいるのです。
また、
優しく育てるといいといわれても、
結果的に過保護だと言われたり、しつけができていなかったりして
結果的に親を怨むこともあるでしょう。
逆に、全てを否定して厳しく育てても、
そのおかげで芯の強い素晴らしい人間ができることもあります。
全てを受け容れて育てられると、
全ての人が受け容れてくれるものだと思い込み、
成長して、受け容れてくれない人に接したときに、
驚きや挫折、恨みに思うようになるかもしれません。
ひねくれて育って、大きくなって何度も挫折して
大切な何かに気づく人生もありでしょう。
だから 「こうするのが正しい」 「こうするべき」 にとらわれすぎると、
それ以外のものを否定してしまう可能性があります。
それがいいか悪いか、正解かどうかなんて
後になってどうなるかわかりません。
また、何が正解で、何が失敗なのか
そんなことさえも、「個人」の価値観でしかありません。
そもそも、挫折や、失敗することに対して
「いけないこと」とすることさえも、必要のないことなのかもしれません。
こうやって話している僕の話も、僕の価値観でしかありません。
「それは間違っている」「おお、そうだったのか」と、
色んな思いを抱かれると思います。
それは、受け取る方の価値観です。
全部、正解
そう言える人生を送りたいな、僕はそう思います。
一個の精子を受け容れて、閉じてしまう卵子ではなく、
来た精子すべてウエルカムな卵子がいいなと思いました。
・・・ が、その図を想像して、それもどうかなとも感じてしまいました(笑)
