2009年8月30日の衆議院議員選挙による政権交代は、日本の歴史において画期的な出来事だった。
国民の手によって政権交代が実現した初めての出来事なのである。
その後、日本では、目に見えない2つの政府が激しい権力闘争を展開していた。
第一は、国民の選挙によって選ばれた「民主党連立政権による政府」
第二は、明治憲法体制下からの連続性が強い「霞が関官僚による政府」だ。
現在の宦官たち=官僚の国家観は、「官僚は国民を無知蒙昧な有象無象と見なしている」。
もちろん狡猾な官僚は、そんなそぶりは見せずに「全体の奉仕者」というような顔をしているが、
腹の中では、普通の国民を
「お前たちは手足だ。われわれが頭脳なのだから、手足は余計なことは考えずに、一生懸命働いて税金を差し出せ」
と考えている。
そして有象無象の国民から選ばれた国会議員は、無知蒙昧のエキスのようなもので、こんな連中の言うことをまともに聞く必要はないと思っている。
それでも官僚は、国民に忠誠を誓っているのではないか?
少なくとも、国民に奉仕するという建前を尊重しながら職務を遂行しているのではないか?
と思うが、違う。
断じて違う。
官僚は明治憲法下の「官吏服務令」を少しだけ変形させたルールで動いている。
官吏服務令において、官僚は国民ではなく、天皇に対して忠誠を誓っていた。
第二次大戦に大日本帝国が敗北したことによって、天皇は国政に対する権能を失った。
それにともない官僚は、天皇なき抽象的日本国家に対して忠誠を誓って行動している。
官僚は、国家のために必要と考えるとき、国民を平気で切り捨てる。
そのことに良心の痛みなど、まったく感じない。
官僚は、国家公務員試験、司法試験などの難しい国家試験に合格した偏差値エリートによって日本国家が支配されるべきと考える。
そうでないと、「食うか食われるか」の激しい競争が展開される国際社会で日本が生き残って行くことはできない。
結果として、偏差値エリートによる支配のほうが下々の国民にとっても幸せなのだと思っている。
もっとも、国家公務員試験や司法試験で測ることができるのは、人間の能力のごく一部分にすぎない。
この種の試験に合格するためには、まず真理を追究するという発想を捨てなくてはいけない。
基本的には、小学校の頃から躾がよい、すなわち、集中して深夜2時まで机に向かい勉強するという躾を受けている子供なら合格する試験です。
教科書や参考書に書いてある通説を丸暗記し(理解しなくていい)、限られた時間内で答案用紙に再現する能力が測られる。
官僚は頭がよいのではなく、頭が「強い」だけです。
長時間の受験勉強に耐えられるような、耐性が強い頭を持っている。
これは本来の頭の良し悪しとは関係がありません。
信頼、いつくしみ、愛情など、数値化できない価値を国家試験で測ることはできない。
霞が関官僚がもっとも苦手なのが、他人の気持ちになって考えることだ。
自分の性欲を子供時代からコントロールできるタイプの人間たちです。
まさしく現代の宦官です。
意識も、普通の国民の意識から遊離した頓珍漢なものだ。
自民党政権時代には、名目的権力は政治家、実質的権力は官僚という棲み分けができていた。
しかし民主党連立政権(鳩山・小沢政権)は、本気で政治家(国民の代表)が日本国家を支配することを考えていた。
この「暴挙」を、ありとあらゆる力を結集して阻止するというのが官僚の「集合的無意識」だ。
日本のテレビ・新聞の小沢攻撃がヒドい。
みのもんたに至っては、「(もし小沢が出てくるならば、)世論の力を思い知らせてやる」と言った。(官房機密費をもらい過ぎ?)
集合的無意識だから、特定の官僚が、鳩山・小沢を失脚させるシナリオを書き、それに基づいて謀略工作を行ったのではない。
無意識に、検察官僚は小沢を叩き潰す役割、外務官僚と防衛官僚は日米同盟を破壊する鳩山を封じ込めるという役割をそれぞれ分担して戦った。
プライドの高い検察官たちのとっては「民主党がクソなら、自民党は鼻クソ」という程度の認識しかない。
インターネットにおける「炎上」に近い現象が官僚の世界で起き、「霞が関」が鳩山・小沢政権潰しに走ったのだ。
それが6.2反小沢クーデターだ。
マスコミも、この炎上に意図的に加担し、日本全体が催眠術にかけられたような状態になっている。
催眠術は素人でもかけれるが、難しいのは催眠術を解くことだ。
今回の民主党代表選、、この闘争で、官僚(菅直人)が勝利した。
小沢一郎のもとでつくられた民主党という「権力の器」を官僚階級が奪取した。
それが今の菅政権である。
この結果、日本にファシズム国家が生まれるという危機がある。
この目に見えない権力闘争の姿を、日本がファッショ化することを何としても阻止したい。
