叔母に話したことと、その場では話せなかったことを書きたい。
私の家は、本当に奇怪な家だった。
家に学友を呼ぶと、ほぼ毎回けなされた。
母の主張は、こうである。
自分より劣った(成績・家柄など)者を友人にするな。
友人は、こちらから頭をさげてお願いしてなっていただくほど、
レベルの高い人間でなければ認められない。
そんな奇妙なしきたりがまかり通っていた。
頭をさげてお願いするような上下関係のある友人って、
どうなのよ…
そう思いつつも、逆らうと泣き喚いて物を投げる母が恐ろしく、
いつしか私は友人をほとんどつくらぬ孤独な学生になっていた。
友人も少なく客もほとんど来ないせいなのか、
母親は風呂から出たあと何時間たっても裸のままで
家中うろついていた。
夏でも冬でも、である。
いくら同性とはいえ、母のオール・ヌードを見ていたいわけがない。
中学か高校のころだったか、私は泣いて、
「お願いだから裸で家の中を歩き回るのはやめて!」
とお願いしたことがある。
すると母は、
「なによ!
ママの楽しみを奪う気!!」
と激怒した。
楽しみだったんですか…!
私は絶句し引き下がらざるを得なかった。
この人は、母は、生まれる国をまちがえたと思う。
いや、今からでもヌーディストの村に移住すればいいのだ
(私は絶対に行かないが)。
もう母は裸でいることがフツーであったので、
実家に帰省したときであっても、その場に
叔父(母の弟)の妻がいても平気でまっぱのまま、
廊下を通るのであった。
当然、身体を隠すタオルなどはない。
かろうじて、ロングの髪の毛をターバン風にタオルでまいて
いるだけである。
ヘアはヘアでも、違うヘアを隠してほしいものだ…
叔父の妻は度胆をぬかれ、
「ひぃっ!Jちゃん、お義姉さんがハダカで!!
何か着せてあげてちょうだいっ!」
と悲鳴をあげていたが、娘の言葉になど聞く耳持たぬ母に
私は無力だった。
(父親編につづく)
私の家は、本当に奇怪な家だった。
家に学友を呼ぶと、ほぼ毎回けなされた。
母の主張は、こうである。
自分より劣った(成績・家柄など)者を友人にするな。
友人は、こちらから頭をさげてお願いしてなっていただくほど、
レベルの高い人間でなければ認められない。
そんな奇妙なしきたりがまかり通っていた。
頭をさげてお願いするような上下関係のある友人って、
どうなのよ…
そう思いつつも、逆らうと泣き喚いて物を投げる母が恐ろしく、
いつしか私は友人をほとんどつくらぬ孤独な学生になっていた。
友人も少なく客もほとんど来ないせいなのか、
母親は風呂から出たあと何時間たっても裸のままで
家中うろついていた。
夏でも冬でも、である。
いくら同性とはいえ、母のオール・ヌードを見ていたいわけがない。
中学か高校のころだったか、私は泣いて、
「お願いだから裸で家の中を歩き回るのはやめて!」
とお願いしたことがある。
すると母は、
「なによ!
ママの楽しみを奪う気!!」
と激怒した。
楽しみだったんですか…!
私は絶句し引き下がらざるを得なかった。
この人は、母は、生まれる国をまちがえたと思う。
いや、今からでもヌーディストの村に移住すればいいのだ
(私は絶対に行かないが)。
もう母は裸でいることがフツーであったので、
実家に帰省したときであっても、その場に
叔父(母の弟)の妻がいても平気でまっぱのまま、
廊下を通るのであった。
当然、身体を隠すタオルなどはない。
かろうじて、ロングの髪の毛をターバン風にタオルでまいて
いるだけである。
ヘアはヘアでも、違うヘアを隠してほしいものだ…
叔父の妻は度胆をぬかれ、
「ひぃっ!Jちゃん、お義姉さんがハダカで!!
何か着せてあげてちょうだいっ!」
と悲鳴をあげていたが、娘の言葉になど聞く耳持たぬ母に
私は無力だった。
(父親編につづく)