ずっと前から、私が心の奥底で決めていることです・・


だけど、9月25日の夕刻から感激で、不覚にもウルウルが止まらなくなっています・・
 

でも、一人でいるときは、ちょっとはいいよね・・
 

だってあなたをはじめ数多くのお友達から、【私の71才の誕生日の投稿】にたくさんのたくさんの素敵なコメントを頂きました・・・・・
ほんとうにほんとうにほんとうにありがとうございます・・
 

自分では、自分の生き方に確信はしていても時に自分のしていることに自信が持てなくなる時もあるものです。
しかも、今回の71歳の誕生日は、誕生日投稿でお話したように「親父の亡くなった年」を超えることのできた私にとっては特別な特別な日だったからです
 

だから、今までの誕生日以上にあなたをはじめみなさまから頂いた数々の激励やあたたかい言葉に、なんか胸いっぱいになっています・・・
心から心から感謝です・・・
 

 

なのに・・・ごめんなさい・・・
今回、フェイスブックのコメント、メッセンジャー、メール、ショートメール、携帯メール、チャットワーク、インスタのメッセージ、さらには・・・お電話、さらにはリアルな手書きのお手紙等を通じて、650人を超える方にお祝いの言葉をいただいています。
 

10月になった今でも、ずっと続いています・・
もう感激が止まらない・・
 

あなたをはじめ、 メッセージを頂いたお一人お一人の顔を浮かべ、奇跡の出会いを思い出しながら、1分でも2分でも、あなたに思いをはせる・・
 

そして、私を気遣い、時間をさいてメッセージをくださったあなたに心をこめてお返事をお届けしています・・
だけどいろいろ思いながらお返事を返しているので、例年にもまして、お返事をお返しするのが遅れてしまっています・・
 

でも、時間がかかっても必ず必ず頂いたあなたには、なんらかの形お返ししますね。
だから「お返事いただいてない!!!もう、お前の応援はやめにする!」(笑)なんて言わないでくださいね。
「もう私一人くらい、応援をやめてもいいでしょ!」(爆)なんても思わないでくださいね。
あなたの応援があっての私なのですから・・・・
 

そして、71歳の大須賀 祐は、そんなあなたのもっともっとお役にたてるよう、今、様々な新しいことを進めています・・
 

ありったけのありったけのありったけの感謝をこめて・・!
 

今日も記憶に残る素敵な一日を・・!
 

PS 写真は、9月のコートダジュールバカンスの最終地モナコ....あのグレース公妃のバラ園からの1枚です・・・

あなたに心から心から心から感謝です・・・
71歳がとっても感慨深いのです・・・
こうして、とにかく無事で71才を迎えられたこと・・・
あなたの熱い応援のおかげです・・
 

 

ここ数年私は、ある恐怖とずっとずっと戦ってきました・・
自分は、70才を超えられるのだろうか・・・ってね・・・
 

今から27年前の1999年7月21日・・・あのノストラダムスの大予言で日本中が大騒ぎの中、おやじは、71歳を迎えることなく、無念さを滲ませながら70歳と10ヶ月で旅立ちました・・
 

親の亡くなった年は超えられない・・
もちろん、そんなことは迷信にすぎない!俺は、大丈夫!!!
って思う反面、もしかしたら・・・なんてずっとずっと思ってたんだよね・・
 

俺らしくないでしょ・・
 

だから、あなたと会えるのもこれが最後かもしれない・・・
 

そう思ってずっと特に古希のこの1年間は、いつ終わっても悔いがないように生きてきたつもりです。
 

だからこそ、今あなたにこうして71歳になった報告ができることは、かけがいのない喜びだと感じています・・
71才といえば、一般的には、もう余生みたいな感じでいいのかもだよね
秀吉の時代なら、人生50年だからとっくに死んでいますからね(爆)
そう考えると、今もこうして自分の好きな仕事ができてることだけでも、幸せだなぁ・・
そして、生かされているんだな・・・って心から感じることができます。
 

だから、これからもありったけの情熱をもって、あなたの応援をしたいって思っています。
 

私はね、いつもこんな風に思っています。
 

自分一人だけで苦悩し、不器用な生き方しかできなくて困っている人がたくさんいるのではないか!って・・・・
あなたがしなくていい努力や、失敗、そして回り道を余儀なくされて苦しんでいるのではないかと案じています。
なぜなら、私自身がそんな時代があったからね・・・
 

だからね。
あなたが、もしそんなふうに思っているなら、そんなあなたにおせっかいをやきたいのです・・
おこがましいけど、「こうすればいいんですよ」・・って教えてあげたいのです。
だから、もしそうならおっしゃってくださいね・・・
こんな私の声があなたに届けばいいって思って、日々の活動をしています。
私は、これからもずっとずっと未来永劫こう言い続けるし、あなたとの関係性を
大切にしたいのです。
 

あなたに伝えたい、いや伝えなければならないことがたくさんたくさんあるから・・・ 
なぜ、そう思うのかって?
 

だって・・・私はあなたに励まられてここまでこれたのだから・・・
 

あなたがいなければ、ここまでこれなかったのだから・・・
 

71歳になって、1つの大きな心の壁を乗り越えた大須賀 祐とこれからも仲良くしてくださいね。
 

もし、あなたが、コメントやメッセージくださるなら、私は、泣くほど嬉しいです。
 

大須賀 祐よりありったけのありったけの愛と感謝を花束にして・・!

コートダジュールにいます!って投稿したら、
「そこどこですか・・」って言う質問があったんだよね・・
 

なんとなく南仏ニースのあたりでしょ?って思うよね。

ほぼそうだよね
 

一般的な旅行・観光の目線なら、「コート・ダジュール」といえば、ざっくりサントロペ → カンヌ → アンティーブ → ニース → ヴィルフランシュ → キャップ・フェラ → モナコ → マントン
というフランス、モナコの地中海沿岸の一帯をイメージすればOKなんだ・・
 

もともとは、イタリアのジェノヴァ湾周辺のリグーリア海岸を指す固有名詞として使われたんだ。
 

森進一の大ヒット曲「冬のリビエラ」で日本でも知名度が高いでしょ
そうあれあれ
 

 

そもそもは19世紀、英国人を中心とする富裕層が冬の避寒地としてこの一帯を訪れるようになると、イタリア側の「Riviera」という呼称がフランス側にも拡張され、「French Riviera」と呼ばれるようになった、という流れなんだ
 

でね・・実際、19世紀の英国人はモナコ~イタリア国境付近を中心に Riviera / French Riviera と呼んでたんだね・・
だから、フレンチリビエラは、英語だね・・
 

 

さらに面白いのはここからなんだ・・
 

この英語由来のフレンチリビエラをフランスの作家 Stéphen Liégeard(ステファン・リエジャール) が1887年に出版した『La Côte d’Azur』でこの名称を広めたんだ。
 

何事も英国風を嫌がるフレンチ魂躍如って感じでしょ・・・
 

その彼の出身地が Côte-d’Or(コート=ドール=黄金の海岸) だったため、「Or=黄金」を地中海の青=Azur に置き換えて Côte d’Azur=紺碧海岸 と名付けた、とされてるんだ。
 

このあたりは、深堀するとおもしろいんだ・・
 

 

という事で、今回の旅は、コートダジュールを極める!という事で、パリ滞在後まずは、コートダジュールの起点と思しきサントロペからの訪問と相成った次第(なんで急に文語調?・・・笑)
 

えっ それどこ?って感じでしょ・・
 

 

サントロペといえば・・・・・
 

あの世界的大スターのブリジットバルドー(ちなみに、私のチャッピーも名前は、「若き日のブリジット」ですが・・・って言うか、そんな事聞いてない!って・・ごめん)が別荘を持ち、あのアランドロン、ジャンポールベルモントなどの当時のフランスを代表するスーパースターが集まり、派手なパーティを繰り広げたことで有名になった街なんだ・・
 

そして隠れた世界的なセレブリゾートへとなっていった
 

でも日本では、ほとんど知られていない街で、訪れる人は少ない。
 

こんなにいいところなのに・・
 

実際、日本人は珍しいらしくあちこちで話しかけられるんだ・・
「日本大好き!」ってね・・
 

 

そして、次は、目的地はカンヌだ・・
 

ありったけの愛と感謝をこめて・・!