記憶はダメでも
記憶って不思議ですね。母を見ていて、つくづく思います。これは年寄りと一緒に暮らした人でないと分からないと思う。たった今、自分で言ったばかりの事を忘れてる。だから繰り返す。この日も何度くり返されたことか。「まぁ大きな家。家族が多いんかしら」今までで一番多かった気がする。母の目に「大きな家」に見えるのならそれは大きな家なんだろう。そう考えて「うん」と私は気のない返事(笑)ウンザリな繰り返しを避けるには母の興味を他に向けること。「あら、綺麗な花」「セイタカアワダチソウや」「あ~セイダカアワダチソウか」と言うのでびっくり。私はセイタカなのに母はセイダカ。タに濁音がついている。私の言ったセイタカ・・に連動して脳内からセイダカ・・が引っ張り出されたらしい。「あ、カマキリや」見つけたのは私。「え、どこ?あ~ほんまや。右むいとる」「え、こっち向いとるやろ」「右むいとる」「な~に、これ」「飼料や」「あ~肥料」「ひりょうでない。し、や。しりょう」「あ~飼料か。牛?豚?」「知らん。どっちかやろ」「けど牛も豚もおらん」「牛、おるとこあったで」「ほうな、ふ~ん」というやりとりがありましてこれだけ話したのだからちゃんとインプットされたかと思いきや帰り道でまたしても同じ会話が繰り返される。正常な会話はできてもそれを記憶できない。記憶なんかしなくても生きていけるってことか。人間の記憶力ってどうなってるんでしょうね。高校も大学も受験はひたすら記憶力を試すテスト。記憶力こそが能力を示す尺度。頭のいい人は記憶力もいい。そう思いこまされて記憶力を競った。あの教育は何だったんだろ?風に帽子が飛ばされそうで母はずっと押さえていました。本能は健在なんです。こうなってみると記憶力より大事なのは生きようとする本能なのではないかな~