「たきかわかずあき」のあそびば!

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タッキンです

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静岡県浜松市から

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屋号『ガイアス連理』(ガイアスレンリ)(GAIA’S RENRRI)2025.6.20


憲法記念日に投稿するのが、タイミングだと思いまして。

「平和に寄(よ)す」

この文章を知ったのは、昨年3月、次の日から毎日、音読しています。

ただ、直近まで、表に出すことが出来なかったのですが、先月末に、この文章は、世に出して良いだろうということをお聞きしたので、今日、投稿させて頂きます。

もとの文章は、旧字体だとのことで、わたしの手元にあるのは新字体にして頂いたものです。

 この文章が掲載された「地球の平和」が発刊されたのは昭和25年(1950年)とのこと。

今から76年前のこのお言葉こそ、21世紀…これからの未来のための必要なのでしょう。

 内容については、わたしが、とやかく言うべきものではありません。読んでいただければ分かります。

昭和天皇の弟、高松宮さま

 立場上多くを語れなかった昭和天皇のお氣持ちを代弁しているとも読めますが…

高松宮さまのブレインとしている方が、この文章には関わってますが、もう少ししたら封印が解けるでしょう。

 いずれにせよ、今、わたしたちがしっかり味わうべき名文章です。


   平和に寄す    宣仁
 
 日本の方向は、

「ポツダム宣言」によって明確にされ、

今日われわれは、

民主主義理想と戦争抛棄を

最高の目標として進みつつ、

幾多の変化を身をもって体験し来った。

この平和への方向にあって、

日本が平和文化国家としての

自らの未来に向って努力することが、

そのまま世界平和への

ささやかな寄与ともなりうることを、

大きなよろこびもて自覚すべきである。

 恒久平和こそ

人類史の根本課題であるとともに、

今日の最大の現実問題でもある。

 人類の長い闘争の歴史において、

破壊か創造かの解き難い矛盾が

人類の叡智による新しい方法

−過去の破壊に代る

未来の創造への要請として解決されるときに、

まことに何人にとっても望ましい

”地球の平和”の出現することを、

今こそ人類は明確に認識しなければならない。

 すでにそれを実現し、

創造するに足る科学、物理又技術の発展は

着々と行われている。

 しかし、それを全からしめるためには、

その科学的発展を、人類目的の下に活用する

人間精神の根源的自覚にまつところ大である。 

 これこそ人間に内在している

大きな光を求める愛の中に生きることであり、

これを忘れて

徒らに知的な分析のみに依存したり、

矛盾対立面の拡大に努めるならば、

人類は救いがたい破滅の運命に陥るであろう。

 過去の日本の無條件降伏は、

また単なる

国家対国家の関係にとどまることなく、

真に絶対平和への無條件降伏としての

神への誓約でなければならない。

それは真に神に対する

武装抛棄とも云うべきであり、

平和への精神的・物質的な献身行為によって

はじめて実現するものである。

 日本は今や

国土・国民・国史のすべてをあげて

平和なるものへの自己開放を行うべき時であり、

それは新しい平和文化への奉仕と貢献を

自ら実践することによって

開始されなければならない。

 まことに今日の日本の歴史的な立場は、

約千三百年前、まさに聖徳太子の時代

−当時大陸との交渉によってもたらされた

イデオロギーの対立と相剋の中に、

いかに生くべきかを求めつつあった

日本の運命と酷似しているかのようである。

 当時、大陸より兵を撤し、

軍事的国家より

文化国家への一大転換の時代に立った日本に、

大陸の文化は

大きな対立をもちながら一度に流入し、

日本古来の伝統とも鋭い矛盾をはらみつつ、

国内は指導階級の分裂による

社会不安の激化によって、

危い現実に直面したのであった。

 この日本の深刻な危機に際して、

聖徳太子は、「人の和を以て第一とする」

十七条憲法をもって、

平和文化国家としての最高の理想を表現し、

日本の進むべき道を暗示されたのであり、

これこそ、今日の新憲法ともならべられる

平和文化への大いなる宣言と

云うべきものであった。

 さらに太子は、夢殿において自ら

神・仏・儒のイデオロギーの調和と

体系化を実現され、かの「三経義疏」にみる

仏教の深い理解と本質の把握は、

単なる海外思想のまねではなく、

それらの創造的統一による体系化として、

その上に一切の文化建設を社会秩序にまで

おしすすめられたのである。

 今日、新しい平和文化の黎明に際して、

千三百年の昔、国史のまさに半ばに立たれて、

平和文化国家としての方向を決定された

聖徳太子の大理想を思うこと切である。

 日本の民主主義の方向は、

二つの世界の大いなる対立の中にあって、

その最も深い根源的理解と

それをいかに恒久平和の中に

創造的に調和しうるか

−という問題に直面している。

 民主主義が

日常生活の中で真実の実践をみるように、

日本の民主主義の最高の目標としての

平和文化も、

国民一人一人の信念として

国土の中に未来に構想され、

それへの断えない努力と献身によって

はじめて実現されることを

確信しなければならない。

 ここに”大和(タイワ)”として

あらゆるものの綜合と調和をなすべき

日本の伝統的方向があり、

平和文化の真の意義を見出すとともに、

それをさらに新しい平和への信仰にまで

高めることを必要とするのである。

 すでに原子力の開裂の響は、

日本の国土に新しい平和世界を

建設するための予言の如く、

さながら、万世の平和を要望する

神の声のようにひびいている。

 このような意味で、本文化大系は

平和文化のための綜合的研究を行いつつあるが、

実に、平和とは

単に政治とか経済の問題だけにとどまらず、

今後、人類がいかに生くべきか

という問題として、

体系的に解明されなければならない。

 人間精神の根源的自覚による

大きな愛の光のもとにあってこそ、

はじめて、現在の不安と動揺の人類生活に、

永遠の平和が招来されうることを確信する。