皆さま、おばんです!
昨年11月のことですが、
ブログ仲間さんと一緒に山形鉄道・フラワー長井線に乗車したんです。
起点の赤湯駅では、こんなパネルを見つけたんですよ。
最上川にかかる最上川橋梁(鉄橋)の案内です。
パネルに掲載された説明文によると、
現存する、国内最古の部類(明治20年)に入る鉄橋が
ここ、山形鉄道・フラワー長井線にあるらしいのです。
ところがこの日は時間の都合もあり、
途中の今泉駅で折り返さないといけなかったんですよ。
鉄橋があるのは終着駅である荒砥駅のちょっと手前。
残念ですが、この日はお目にかかれませんでしたの。
そして先週のこと。
ついに訪れることが出来ましたよ。
じゃ~ん!
明治20年に建造って、
どんだけ昔のことかピンとこないかもしれませんが、
伊藤博文が総理大臣を務めていた時代なんですね。
いやいや、それでもピンとこないっす。
日本で初めての鉄道である
新橋駅‐横浜駅間が開通したのが明治5年ですから、その15年後か。
この方が鉄ちゃんにはわかりやすいかもしれません。
日本に鉄道が完成して、
わずか15年後にはこの鉄橋が存在していたんですよ。
そんな鉄橋がフラワー長井線にある経緯ですが…
京浜間と、それに遅れること2年後に開通した阪神間を結ぶ鉄道として、
中山道経由(現在の中央線)の鉄道建設が始まりました。
ところが山岳地帯が多く工事も難航したために、
明治19年に急遽、海側ルートに変更。
これが現在の東海道線となったのです。
なお、大規模な鉄橋を造る技術は当時の日本にはなく、
木曽川を越える鉄橋は、イギリスの橋梁メーカー・
パテントシャフト&アクスルトリー社に依頼したとか。
明治18年に着工された橋梁は翌20年に完成し、
明治22年には無事に東海道線が全通したんだそうで。
その後の東海道線の発展ぶりは周知の通りですが…
東海道線の輸送量の増加は鉄橋にも負担をかけることとなり、
大正3年に、より強度な2代目・木曽川橋梁が完成したことによって、
初代橋梁は役目を終えたのです。
ところが世は鉄道の建設ラッシュ。
初代・木曽川橋梁は長井線の最上川橋梁として、
大正12年に第2の人生(橋生?)をスタートさせたのです。
ちなみに最上川橋梁、斜材をすべてX字形にした
ダブルワーレントラス橋というものらしいですよ。
そして面白い話がもうひとつ。
初代・木曽川橋梁を再生した橋が、
国内にもうひとつあるんですよ、しかも同じ山形県内に。
左沢線の最上川橋梁がそれで、
長井線の最上川橋梁と瓜二つのために、
双子の橋とも呼ばれているんですって。
長井線と左沢線はいずれ結ばれる計画があった路線です。
その中に、同じ運命を辿った鉄橋があるとか、
最上川橋梁については、
なお、地元のおじちゃんから聞いた話ですけど、
最上川橋梁のすぐ袂で、
沈没船から大量の小判が発見されたんですって。
船に積まれた小判の枚数よりも、
実際に発見された枚数が少なかったんだとか。
(小判の枚数が記されていた文献があるらしい)
最上川橋梁ウォッチング、
思わず小判が発見できちゃうかもよ~
ちなみに小判が発見された昭和30年代のことですから、念のため。





