昨日、ふと思い出したことがありました。
もう、かれこれ7年近く前のことになりますが、知り合いの能楽師さんとお話ししているときのことです。

日本の大切な伝統芸能である能を、我が事務所に所属するモデルやタレントたちに習わせたいと思い、お話ししていたところ、「なぜ、能なのですか?佐藤さんは、狂言を長い間されていたのだから、狂言を習わせたいとはおもわなかったのですか?」と聞かれました。
私は、最初は狂言を習わせたいと思っていたのですが、日本の芸能の神髄は、能にあると直感的に思っていたので、やはり、能を習わせたいと思ったのでした。

能の特徴の中で、私が一番気になるのが、「なぜ、主役(シテ)は、妖精や亡霊や鬼など、生きた人間ではないのか」という点です。
能の演目は、主なもので大体200数十曲と言われてますが、ほとんどの演目に、主役として人間ではないものが登場します。
旅人や僧侶が旅をしていると、旅先で出会った人が、その地で起きた昔話をし始め、一通り話を聞いたところで、一転、実はその時に不本意に死を迎えた人物は自分でしたと名乗り出、一転その亡霊の姿になり、旅人や僧侶に話を聞いて弔って頂いたお陰で、本来の神性を取り戻し、実は自分は○○の神でした、あなたの弔いのお陰で神性を取り戻しましたと礼を言って、天に還る(成仏する)というパターンなんです。
本当は神様だったのに、この世に人間として生まれ出で、人間として様々な経験をしているうちに、不本意に死を迎え、いまだその生に執着し、この世をさ迷い歩いていると、ある日、旅人or僧侶に出会い、自分の死を悼み弔われ、自分が神様だったことを思い出して、成仏してゆく…。
生きる人間に救われた亡霊は、実は、人間としてこの世に生きていたが、生まれる前は、神様だった。
というオチが、能では、必ずなんです。
ということは、
能では、「人間は、みんな、神様なんだ。」ということを伝えたいのではないかと思ったのでした。
…うーん、というより、「人間は、みんな、神様なんだ。」という、今現代の人間からは、理解しにくい思想基盤が、昔の日本人にはあったということなのだと思うのです。
だから、私は、人間はみんな神様で、尊ばれるべき存在なんだということを、モデルやタレント達に知ってもらい、その精神をもって、多くの人々の目に映る存在になったら、その子達を目にした人達は、みんな、自分が神様だったことを少なからず思い出してくれるのではないかと考えたのでした。
人間は、本当は神様だったということを思い出してほしいのです。
この世に生まれ出でて、生きにくさのために、色々と試行錯誤していくうちに、神様だったことを忘れているだけなんです。
様々な宗教が、神という存在を人間と別の存在として位置付けることで、このことを忘れさせています。
でも、日本の神道だけは、この事実を今も伝えています。
そして、密やかに能が、日本人に今も変わらずこの事実を伝え続けてくれています。
人間は、みんな、神様であり、スーパーマンなんです。
私の大好きな昭和を代表する歌手の三波春夫さんも仰ってます。
お客様は、神様です。
三波春夫さんも、今を生きる人間の中に宿る神性を感じて、この言葉を発せられたのだと思います。
知り合いの能楽師さんも、いたく同意しておられました。
だから、日本の神様って、古事記などを読めばわかる通り、失敗もするし、悩んだり落ち込んだりもする、人間みたいだったんですね


ほんとに、世界中の人に思い出してほしいのです。
あなたも、あなたも、あなたも、
みんな、みんな、みーんな、
神様なんだょ!
さあ、神様たち、今日からどう生きようかな
私たちは、みんな神様だから、自神をもって、生きよう

