息子の不登校をきっかけに
心のこと 脳科学 エネルギーのこと
学んできました。
最初は息子がおかしくなったのかと
思ったけれど、
学べば学ぶほど
私自身の問題であることが
わかっていきました。
幼い自分が、
祖母と母に
たびたび投げかけられた、
そんな事すると恥ずかしいでしょ。
そんな事も出来ないと恥ずかしいよ。
そんな風に泣くと見苦しいよ。
みっともない。
という言葉で
ずっと
自分を見張っていたんだなあということが
だんだんわかってきました。
今でも この言葉を聞くたびに
身体がぎゅっとこわばります。
母も祖母も
良かれと思って
その状況を変える為に
そう言ったのもわかるし、
その時代
そうやって自分を律して
生きていかなければならなかった
時代だったということも
理解しています。
でも その時の私は
それが出来ないことが
自分の存在が恥ずべきものに
なってしまうのだと
思い込みました。
出来ないことなんて
当然誰にでもあって 山ほどあって
失敗することは
ひとつ経験を積み重ねたということで
声をあげて泣いたって
見苦しいなんて
言われる筋合いはないということ
そう見るかどうかは
人それぞれであること
人から見て 「恥ずかしい」
だから出来るようにならないと。
人から見て 「見苦しい」
だから自分の負の感情は出すものじゃない。
基準は 会ったこともない他人。
それが 今でも 何かを選択する時に
ずーっと頭の中で
いちいちツッコミをいれてくるんだよ。
いちいちうるさいんだよ。
そして
ハートの自分は
その他人と母と祖母を気にして
いつもこわばって
縮こまって
自分 恥ずかしくないかな?
自分 見苦しくないかな?って
怯えているんだ。
ああーー
もう疲れたよーーーー!
黙ってよーーーーー!
出来ないもんは
できないんだよおおー!
恥ずかしいとか
見苦しいとか
みっともないとか
うるさいよーーー!
わたしはもう
その言葉で自分を苦しめたくない!
本当は 悲しいこと
本当は くやしいこと
本当は 泣きたいこと
もう 押さえ込まない。
後ろから羽交締めにして
口を押さえて
自分を黙らせるのをやめる。
恥ずかしくない。
恥ずかしくない。
恥ずかしくない。
それがふつー。
それでいい。
泣きたい時は泣いていい。
ネガティブな感情を感じることに
✖️をつけなくていいんだよ。
何にも恥ずかしくない。
見苦しいなんてことない。
もし恥ずかしい、と言う人がいても
あなたは「恥ずかしい人」なんかじゃないよ。
悲しくていいよ。
くやしくていいよ。
失敗できるって、
行動した証だもんね。
ていうか、失敗って、
どんな事を失敗っていうんだろうね。
この頃わからなくなってきた。
今、あなたが
失敗したー
やらかしたーって
言ってきたら
黙って
頭をわしゃわしゃしたいなあ。
そっかー、といって
ほっぺたをびろーんと引っ張って
変顔とかしたいなあ。
なんにも
恥ずかしいことじゃないよ。
大丈夫だよ。
って、
何度も何度も
繰り返し繰り返し
伝えていくんだーーーー
読んでくださりありがとう![]()

