忍熊王は軍を率いて退き、宇治に陣取った。
皇后は紀伊国にお出でになって、太子(応神天皇)と日高でお会いになった。
(『日本書紀』神功皇后)
由良駅からバス🚌
駅出た所に時刻表はあるけど、どこで待ったら良いのか分からずオロオロしていたら、タクシーの運転手さんらしき人達に声を掛けられて、バスがもうすぐ来る事を教えてくれた。ありがたや。
(当たり前に、バスが来るのはこの時刻表の前辺り。)
乗客は私だけで、ひえ〜って思いながらぼーっとしてたら、1つ乗り過ごした😱
でもおかげさまで港が見れて、港から近い場所だと実感出来た。
また、鳥居が2つあってこっちが登り口なんだけど。
御祭神
誉田別命=応神天皇
息長帯姫命=神功皇后
比売大神
当神社は、貞観二年(八六〇年)に創建され、古の紀伊国海部郡の産土神として鎮座まします神社です。
創建の由来は、神功皇后が三韓征伐後畿内に帰るとき、忍熊王等の反乱に遭い、武内宿禰に皇子に皇子を託し、その船は南海より紀伊水門現在(現在の大引浦)に停泊しました。
その時、土豪岩守が大御酒、和布を奉りこれを迎え、衣奈の地へ導いて行宮を設けたと伝わります。
その行宮の跡が現在の鎮座地となります。
和歌山県神社庁-衣奈八幡神社には、上山氏の祖、って書いてあるわ。
社殿の傍に瑞石あり、「胞衣塚」と云う、安産の守石として信仰されている。
神功皇后本人ではなくて、神功皇后のお付きの女性が出産したのを、当時の人は神功皇后が出産したと勘違いしたとか、そういう風に思っておくのが良いのかな、とは思うけれど……。
オキナガタラシヒメは大和へと帰ろうとしました。
しかし、誰かが謀反の企てをしているかもしれない、と考えました。
そこで、棺を乗せた船を用意して、ホンダワケ(応神天皇)をその船に乗せて、
「皇子は亡くなりました」と言い伝えました。
(『古事記』仲哀天皇)
忍熊王達を騙すために、応神天皇は亡くなったと偽ったことになっているが、本当は、死んだことが本当で、生きているのが偽りだったのでは?
福岡で出産した子と日高で産まれた子を取り換えたのではないか。
そんな風に考えたりもする。
蛇足




















