海上交通の拠点・松浦

「平家物語」の壇ノ浦合戦では平家水軍の主力として活躍し、鎌倉時代の蒙古襲来時の勇戦によっても知られる松浦党。

四十八家とも五十二家ともいわれ、松浦・唐津・有田・伊万里一帯をはじめ平戸や佐世保、さらには五島、 壱岐まで勢力を伸ばしていたともいわれています。

時には海を渡り、遠く朝鮮・中国との交易に従事することがあり、水軍的性格をも有していました。

 

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松浦といえば、

魏志倭人伝によると、魏の使者が対馬、壱岐を経由して、本土に最初に上陸する倭の地、「末盧國」と言われている場所!

 

 

「又渡一海、千餘里至末盧國」

(壱岐から)また海を千余里渡ると松浦に至る。ってね。

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松浦党の誕生

広く伝えられている話によれば、1069年、渡辺綱の曾孫にあたる源久(みなもとのひさし) は、朝廷より宇野御厨検校(うのみくりやけんぎょう)に任ぜられ、松浦郡今福に下向し、梶谷城を築き本拠としたといわれています。

久は、松浦一帯、彼杵の一部、壱岐、五島列島を含む広大な宇野御厨を支配下に納め、 7人の息子を各地に配置して、その地を譲ったといわれています。

松浦党とは、肥前国松浦地方に独立割拠した、古代末から中世にかけての武士団を指 して用いられた呼称です。

 

 

 

松浦市が観光した、松浦党のマンガがあるらしい。

 

 

こういうのあると良いよね♪

 

漫画 西海一の水軍 松浦党

 

蒙古襲来の激戦地

伊万里湾を囲む松浦市一帯は蒙古襲来の激戦の地でありました。鷹島町ではその蒙古の船団の遺物が海底から引き揚げられています。

この戦における松浦党の活躍についても、様々な史・資料から見いだすことが出来ます

 

 
 

松浦市の経済基盤であった石炭産業が終息して二十数年を経過、その間多の苦難を乗り越え、石炭専焼力発電所が設された。

 
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港の話と思って案内板読み始めたら、石炭の話が始まってびっくり。

でも、石炭でさかえた飯塚市民からすると、ちょっと親近感湧く。

 

 

そして今、ここに天然の良港松浦湾が石炭輸入の為に国際貿易港として開港した。

一望千里の彼方にアジア大陸を臨めば、二十一世記へ向けての限りなき希望を覚える。(後略)

 

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古代から近現代まで、松浦は国際的な海上交通の重要な拠点なのね。

 

 

ちなみに、近くには淀姫神社といって、神功皇后の朝鮮出兵も大いに貢献した、神功皇后の妹が祀られている神社がある。

それだけでも興味深いのに、HPを見ると松浦地方の族長「磯良」(しら)という記述がある。

これが海人族であり、松浦党に繋がるのかな?と思われてワクワク。

この神社の伝承がすごく興味深いので参拝したかったのだけど、寄るには時間がなくて行けなかった残念。またの機会に。