宇治神社から歩いて5分程度の距離。
宇治上神社
宇治市宇治山田59
応神天皇の末の皇子であった菟道稚郎子は幼い頃から博識聡明だった。そのため父君の応神天皇が大切に手をかけて育まれ、皇太子となった。
しかし、応神天皇が亡くなられ、菟道稚郎子は兄である大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)に天皇の位を譲られた。そして、現在の宇治の地に離宮を建て、一線から退かれた。
しかし、大鷦鷯尊も「菟道稚郎子が、皇位を継ぐことは、応神天皇が定められたことなので、変えることはできない」と言い、3年間もの間、皇位を譲り合った。
国民は戸惑い、世の中も乱れ始め、菟道稚郎子は自身の行いで、このあり様をご覧になり、悲しまれ、心を痛まれて、「このまま私が生きていれば、世の中が乱れるばかりだ」と、自ら命を絶った。
これを知った大鷦鷯尊は、難波から急遽、宇治へお越しになり、驚きと悲しみの中、菟道稚郎子を手厚く葬られた。
これが、後々になって当社の創建のいわれとなる。
宇治上神社の本殿は国宝で、ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている!
宇治上神社は、ユネスコ国際連合教育科学文化機図)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産とし で、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。
宇治上神社の部は古くさかのぼりますが、平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社 となり、その後、近在住民の敬を集めて、社殿が維持されてきました。
拝殿。
拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。意匠的には切 造の母屋の左右に庇をつけた形であり、屋根はその部分が縋破風となっていることなど住宅風となっている点に特色がみられます。
神のための本殿に対し、人の使う拝殿には住宅建築の様式が採用されることが多く、ここ では、拝殿が初めて建てられた頃の住宅建築の様式である寝殿造の軽快な手法が、鎌倉時代の再建にも受け継がれたと考えられます。
拝殿の裏に回ると、本殿が見れる。
3棟あって、祭神は
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、
応神天皇(おうじんてんのう)、
仁徳天皇(にんとくてんのう)。
本殿は、正面一同の流造の内3棟を並立させ、それを流造の覆屋で覆った特殊な形式となっています。建立年代については、蟇股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代の 後期に造営されたものとみられ、現存する神社本殿としては最古の建築です。
こちらもウサギ推しだったので、ウサギの絵のついた鈴を買いました♪









