宇治神社

京都府宇治市宇治山田1

 

 

御祭神
菟道稚郎子命(うじの わきいらつこの みこと)第十五代 応神天皇の皇子


文教の始祖として、学業成就・受験試験合格の神様であり、この宇治の氏神として古来より崇敬されてきております。

 

 

当神社の鎮座する場所は、宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮きりはらひげたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命の宮居跡と伝えられております。

 
サムネイル

おお、ここに桐原日桁宮っていう、応神天皇の離宮でありウジノワキの住まいがあったのね。

 

 

父である応神天皇は生前より、御祭神の菟道稚郎子命を皇嗣として指名されており、兄である大鷦鷯命(おおさざきのみこと。後の仁徳天皇)を太子の輔導にあてられておりました。これは、我が国の古代の慣例で、なるべく若い者に嗣がせた方が、一代での活躍期間が永く、繁栄が期待できるとされていたからです。


しかしながら、菟道稚郎子命は博士の王仁(わに)から儒教の思想を受けられており、長男相続説を唱えておられました。

 
サムネイル

え、あ。日本古来の慣例と、儒教的思想の相違って話なんだ。

 

博士の王仁というのが、応神天皇の時代に百済からやってきて日本に論語を伝えたとされる人物よ。

サムネイル
 
サムネイル

日本に儒教が入って間もない頃、ウジノワキはその教えに感化されていたのね。

 
 

そのようなことから、応神天皇崩御(310年)後は、菟道稚郎子命と大鷦鷯命とが3年近くに亘って互いに皇位を譲り合い、空位が続き国の混乱を招いた。(古事記〈中巻、応神天皇〉日本書紀〈巻第十一、仁徳天皇〉)


菟道稚郎子命はこの状態を解決するため、312年に自らが皇位に就くのではなく、宮居のあったこの宇治の地で自らの命を絶つという選択をし、兄である大鷦鷯命に皇位を譲ったのである。


この出来事を悲しんだ大鷦鷯命が仁徳天皇として即位した年(313年1月3日)の313年5月、この地に菟道稚郎子命の御神霊を祀ったことが当神社の創祀である。

 

ところで、宇治神社にはウサギがよく見られる。

 

拝殿にウサギ。

 

手水舎にもウサギ。

 

御朱印にもウサギ。

 

 

みかえり兎
御祭神「菟道稚郎子命」が河内の国から、この土地に向かわれる途中、道に迷われてしまいました。

その時、一羽のうさぎが現れ、振り返りながら、後を追う「菟道稚郎子命」を正しい道へと案内しました。

この御由来のうさぎと当神社では「みかえり兎」と呼び、人々の人生を道徳の正しい道へと導く神様の御使いとして伝わっております。

 
サムネイル

うさぎさん、偉い!

 

また、宇治という地名は、この云われよりついた名前ともいわれています。

 
サムネイル

兎道→ウジってことね!

 

ちなみに、「伊勢神宮遥拝所」のところにもこっそりウサギが(笑)

ウサギ、いいね。