羽白熊鷲の塚

福岡県朝倉市矢野竹831(あまぎ水の文化村内裏)


左奥に見えるのが、せせらぎ館。

こんな風な、立地的にすごく良い場所にある。




羽白熊鷲の塚由来記


「水の文化村」建設時此処に羽白熊鷲の遺跡あり 

せせらぎ館の建設地と重なりし為に七十米 南に移転せり


平成十四年四月 甘木商工会議所施設運営の委託を受けし後羽白熊鷲の存在を知る


仲哀天皇の御代領土を統治せし豪族 羽白熊鷲の塚とは余りに貧弱

不敬に亘るとし 此処に再度移転せるものである


元々は、今、せせらぎ館がある辺りに、丸い石が置かれている程度の墓があったそうよ。

発掘してめ何も出て来なくて、その墓石だけを敷地の奥の方に移動させたの。

けれど、後で羽白熊鷲の存在を知った人が「これじゃいかん!」って、立派な墓を造ったらしいわ。

サムネイル

サムネイル

まさか1000年以上も経ってから、塚が造られるなんて、羽白熊鷲もビックリだね。
自分の存在が認められたと、喜んでくれていると良いな☺️




羽白熊鷲の碑

仲哀天皇御代 木免の国(筑紫の国)に未だ皇命を奏ぜぬ部族あり

其の長を羽白熊鷲という荷持田に盤拠し権力遥かに想像を絶す

神功皇后 新羅征討の途次極日宮(香椎宮)に出陣中なりしが、斯かる 形勢を関知し 先づ内患を断つ事の急務なるを悟り 従駕の臣武内宿禰等と審議の末 巨魁羽白熊鷲を征討する事に決せり

神功皇后直ちに軍容を整え仲哀天皇九年(西曆三九一年)三月 橿日宮を経て松峡宮に至り 激戦死斗の結果 遂に層増岐野に於て 強敵羽白熊鷲の軍勢を剪滅
此時 聡明且沈着な神功皇后左右を顧み 「収得熊驚我心即安」と宣う
羽白熊鷲の覇権の強大さ此処に歴然たり


念うに古代 我が郷土に一世を風靡せし人物を知らずいま彷彿として羽白熊鷲の勇姿脳裏に去来す
吾等は茲に 永遠に不滅の羽白熊鷲を懸ろに顕彰し碑を建立して辞となす


平成十四年十二月 山本 辰雄謹選


引用文献

「日本書紀」「大宰管内志」「大日本時代志」「古事記」「延喜式」「筑前志」「筑前国統風土記」「考証三代実録」「筑後志」「朝倉風土記」など


 神功皇后と羽白熊鷲、両方に対する敬意が感じられて大変良い☺️

 

 

思わず登りたくなるような良い感じの丘。

目に付く場所に「立入禁止」の記載があるので登らない😆


 

せせらぎ館の向こう側の景色。

大変綺麗だった✨✨



 


こちらは、直木賞作家 古川薫さんの書いた、羽白熊鷲を主役にした小説(+α)❗️

神功皇后に惚れてしまうのだけど、戦わねばならない悲恋😭

神功皇后も羽白熊鷲も、私好みのなかなか良い感じに描かれていたので嬉しかった😊