藤ノ尾車塚古墳

福岡県みやま市瀬高町山門

 

鏡堂    藤ノ尾車塚

藤ノ尾の車塚は神功皇后が朝廷に従わない田油津姫を征伐するために立ち寄り作戦を練った所と伝えられている。
戦場は草場で田油津姫の墓は大塚の蜘蛛塚と言われる。

享保20年(1735)に車塚から漢鏡三面が掘り出され、塚の霊を祀るため塚の中央に鏡堂を建て車塚出土の漢鏡が収められた。
漢鏡は現在は残っていなく石を祀ってある。

明治3年から明治15年まで香椎聖母神社があったが藤ノ尾集落の東部に遷宮している。

 

引用元:みやま市のお宮とお堂【清水校区編】 (shofuku.nobushi.jp)

 

神功皇后が車駕を留められた所の意味で車塚と呼ぶそうよ。

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車駕って何?

 

意味としては、偉い人が乗る乗り物を指しているわけなんだけど。
車輪がついた乗り物に乗っていたという事かもしれないわね。

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塚の上にあるお堂は、元は漢鏡があったから鏡堂って名前なのに、鏡は盗られちゃったのね😢

 

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でも、漢鏡があったという事は、ここに埋葬されていた人物は卑弥呼よりもっと古い時代に中国と交流があった人物という事なのかな。

 

今は、大きめの石がドンとあって、周りには丸みのある小ぶりの石がコロコロ。

棚には瓦。

 

 

草場古戦場 

 

神功皇后は田油津姫を討つ時に、有明海から北上して矢部川に入り高尾嶋(大和町鷹尾)に上陸した。それから多くの部下と共に藤尾部落に着き軍議をしていた時、賊軍が攻め込んで来て大きな戦いになった。朝廷軍は突然の攻撃に驚き、すぐに反撃に出て賊軍を打ち破った。

 

伝説によるとは、この地は牧場であり略して「草場」という説と「戦場」を略して「草場」という説がある。

 

引用元:車塚古墳・皇后軍の陣営地に立つと、正面に女山神籠石があった : ひもろぎ逍遥 (exblog.jp)

みやま市の武士と城 (shofuku.nobushi.jp)

 
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車塚が神功皇后が来る前からあった古墳だとしたら。

昔この地を治めていた人の墓の上に神功皇后が留まったりしたもんだから、田油津姫達は怒って攻めて来た。って可能性もある?