秋月八幡宮

福岡県朝倉市上秋月1717-1

 

 

 

垂裕神社に行くつもりでバイクを走らせていたら、そこそこ人通りのある細道にやって来てしまい、あわあわなりながら駐車出来る場所を探していたら山道に来てしまい、あわあわ💦

 

途中で停めたら「今からトラック(ダンプだったかも)が来ますよ!」って言われてまた慌てて走らせて、ここに辿り着いた。

垂裕神社に行った後で行く予定だった秋月八幡宮に先に着いたのでした😆

 

 

秋月八幡宮由来

 

秋月八幡宮の歴史は古く、平安時代中期の九四〇年、朝廷に謀反を起こした藤原純友の追捕使としてこの地に来た大蔵春実が、神功皇后の旧地とされる宮の丘(現在の社のある周辺)で戦運を祈願したところ、 たちまち純友の乱を平定することが出来たことから、 九四六年、この地に武人の守護神として神社を建立したのが始まりだと記されています。

 

 

 

その後、鎌倉時代に移り一二〇三年、秋月氏の祖といわれる秋月種雄公(大蔵春実の八世孫)が秋月の地に移り住むようになり、現在の社の本宮を造営したとされています。

社は、秋月氏によって四〇〇年にわたって代々修造が加えられて多くの信仰を集めてきましたが、 秋月氏の高鍋への移封によって久しく退廃していったとあります。 

江戸時代に入り一六二四年、秋月藩初代藩主黒田長興公が就封されてからは、十五年ごとに数次にわたって社の本宮、拝殿の改修が行われて施設が完備されると共に、夏秋一度の祭事が賑やかに行われるなど、近隣の住民の信仰が大変厚かったと 記されています。

現在も七月の夏祭り、十月の御神幸の御降りなどが行われています。

 

歴史のある郷土秋月でも由緒ある建造物として 八百年にわたって現在まで受け継がれている八幡宮は、 数少ない歴史的建造物となっています。

 

 

ここも、保存樹林の説明板あり。

 

甘木市保存樹林 第一号

指定理由
上秋月八幡宮は社記によれば天慶六年大蔵春実が神功皇后の故事に因んでその遺跡の地に祭祀したものであると伝えられる。

秋月種雄は秋月を居所にするにおよんで社殿を造営して篤く崇敬した。

また一帯は小高い丘の上にあったので、その家臣である坂本氏の代々の居城となった。

秋月氏の時代社運も盛んであったが秋月氏が日向に移封されると次第に衰え社殿も頽廃したと言う。

のちに黒田長興が秋月藩主になると新たに社殿を造営しその地の産土神として崇敬され今日に至っている。
なお、境内地はこの樹林によって清閑さを醸し出している。

 

神功皇后の「宮園の森」として、その木が大事にされてるっての面白いな☺️

 

 

社殿。

 

 

八丁トンネル貫通石🪨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋月ってまあまあ観光地なのに。秋月八幡宮にはひとけなし。

良い雰囲気なのに、ちょこっと離れてるから皆気付かないのかな。

 

↑これは、ひとけのある所まで戻って来た所にあった案内板。