西公園

福岡県福岡市中央区大濠公園1-2

道路の歩道にあった。

光雲神社は西公園の中にあると聞き、歩く。

光雲(てるも)神社

福岡県福岡市中央区西公園13-1

「西公園」を調べると地名が大濠で、「光雲神社」を調べると地名が西公園という、西公園の謎。

↑長政の石高(52万3千石)にちなんで、奥の階段が52段、手前が3段あるらしい。


この一帯、古くは「荒津山」または「荒戸山」と呼ばれていて、江戸時代には東照宮が建立された。

その後、明治に入って廃祀され荒れたが、明治14年(1881年)に荒津山公園、明治33年(1900年)に西公園と改めた。

6代目福岡藩主 黒田継高が、「福岡」の名付けの親である官兵衛と、その息子であり福岡初代藩主 長政を福岡城内に祀った。

官兵衛の法名「龍光院殿」と長政の法名「興雲院殿」から一字ずつを取って付けた「光雲神社」。


明治4年(1871)年の廃藩置県の際、黒田家が東京に移転する事に決まると、歴代藩主を慕う藩民達が当時の藩主に懇願し、神社を移動して残すことにした。

明治4年の際には小烏吉祥院(現在の警固神社近く)、その後明治8年(1875年)に西公園に移ってきたそうな。

『天神のど真ん中!警固神社』『天神と警固の由来(神功皇后と菅原道真と黒田長政)』日頃、私に酷使されている我がスマホ。バッテリーの減りが早くなってしまい、なんと、ピーク時の63%しかないな…リンクhama-sush-jp.pro警固神社は、福岡城を建てる前に福岡城の場所にあった神社。この辺りの神社、めっちゃ動かされてるなー。

あと、「小烏吉祥寺」?警固公園の方に出てくる「小烏神社」と対になる寺っぽいな。気になる。

長政の兜の像。

黒田節で有名!呑み取りの槍 日本号を持つ母里(もり)太兵衛の像。

あら?よく知ってる歌詞(酒はのめのめ飲むならば)とちょっと違う👀なんでだろ。

光雲神社のお賽銭箱は面白くて

天井には、福岡城の別名 舞鶴城に因んだ鶴。

お金を入れると鶴が鳴く‼️



境内にある堅盤(かきわ)神社には、官兵衛・長政の前後と、6代目藩主の娘が祀られている。

重隆・職隆・忠之は良いとしても、なぜ急にとんで糸(阿津姫/厚姫)なの?
確かな記述が残っているわけではないようなのだけど…。

6代目 継高は実の息子を次々と亡くしてしまい、血統が途絶えてしまう。(7代目以降は養子の子孫達)
官兵衛から続く直系最後の人物として、糸は祀られているのではないか。
そう考えられているのだそうな。



こちはら荒津神社。

この山の守り神として「神武天皇」と「大物主神」、海の神「金毘羅神」を祀ったとここには書いてあるけれど

光雲神社御縁起のところには、

大己貴命(=大国主)、国常立尊、正哉吾勝(アメノオシオミミ。天照大神の長男。ニニギの父)、国狭槌尊、伊弉冊尊(イザナミ)、瓊々杵尊(ニニギ)、惶根草

って書いてあって、あまりの違いに愕然とする。

いやちょっと、ねぇ?どういう事なの⁉️

堅盤神社も本来は違うものが祀られていたのでは?という疑問が湧いたが、それは別の機会に。

徳川家康を祀る神社がある場所だったのが、徳川の世が終わり、藩という制度もなくなり…その結果、元藩主である黒田を祀る神社のある場所になった。

そんな変化のあった場所だから、摂社・末社だって、同じでいられるはずがないよね。

何にせよ。

明治以降、今に至っても、黒田を慕う人達の思いがこの神社に集まっているのは確か!


読みがなかなか覚えられなかったのだけど、光雲と書いてこううんでなくてるも


官兵衛・長政に思いを馳せながら、神社を後にした💨




近くにあった中司孫太郎稲荷神社について

『孫太郎は船乗り?航海安全を願う中司孫太郎稲荷神社』光雲神社の右奥を下った所にある道から見たところ。こちらが、中司孫太郎神社の正面玄関的な鳥居と思われる。鎌倉時代に遡った際にあるのはこの神社自体ではなく荒津山?…リンクhama-sush-jp.pro