よく人は、人生の改革というと、すごく大きなことをしなくてはならないように思いがちです。でも、座っている位置をちょっと変えるだけで、ものの見方が変わり、あなたの人生を改革することができるのです。
大きな改革を試みようとする人は、それにまつわることをいろいろしなくてはならなくなって、よほどすごい力を使わないかぎり、かえって改革ではなく、自滅することになったりするのです。
まず自分に与えられた人生を尊んで、静かに改革していってください。
「今あなたに知ってもらいたいこと」 オノ・ヨーコ著
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「卵を割る方法」 Vol.3
「人に伝える」、「会いたい人に、会いに行く」。
2つの大きな卵を割りつつ、その他にも小さな卵たちを割ってみていた頃、私はもう一つ大きな卵を割りました。
それが、「地元へ帰る」という卵です。
いわゆる“大都会:東京”で暮らしていた私は、いつしか“田舎”での生活に憧れるようになっていました。
もちろん、いろいろな要因が重なったことにより、田舎での生活に思いを馳せるようになったのですが、なんだかんだと間逆のものに惹かれてしまうことも、ある意味私の性かもしれません。
そして、その時の私にとって“田舎”とは自分の故郷、つまり熊本のことを指すのではなく、どこか別の“田舎”でした。
昔から、新しい場所や出会ったことのない人たちとの出会いに興味をかきたてられる私にとって、次に移り住む場所は地元・熊本ではなく、どこか別の新しい、まだ見ぬ“田舎”でした。
そうですね。
その時の私は、地元だったからこそ、熊本の全てを知っているような気がしていて、全てのことが見えているような気がしていて、別の角度から見直そうという気持ちさえ湧いてこなかったように思います。
そんな私ですが、まだ見ぬ“田舎”へ行く前の休息地として熊本へ帰って来て約2年。
新しい土地へと旅立つこともなく、未だに熊本で暮らし、そして熊本で働いています。
むしろ、毎日笑顔いっぱい愛いっぱいで、心から熊本での生活を楽しんでいます。
そう。熊本に帰ってくる前、そして帰ってきた直後の私にとって、「地元・熊本」は、新しい土地へ行くための「通過点」でしかありませんでした。
その時の私は、失礼ながら熊本の良さや新しい発見には目を向けず、次にステップアップするためには、私のことを知る人のいない新しい土地へ行かなければ成長できない、とさえ思っており、少し浮き足立ってさえいたように思います。
しかし、人生というものはおもしろいもので、当初描いていたとおりには事は進まず、流れに身を任せるままにのんびりと過ごしているうちに、いろいろなご縁に恵まれ、気づけば熊本で暮らし、働き続けている私がいます。
浮き草のようにゆらゆらと漂うことに憧れていた私も、ふっと全身の力を抜くことにより、浮き草の性質はそのままに、ひとまず熊本に根をおろし、自分自身を熊本の水で育ててみることにしたのです。
方向を見定め、風の音を聞き、変化していく自分を感じながら身を任せ、力を抜ききることで、自分の道というのは少しずつ開けてきたのかもしれません。
そして、熊本で暮らし、働き、またいろいろな卵を割ってみることで、どうやら私はいつのまにか自分が座っている位置を変えていたようです。
きっと大きく移動したわけでもなく、座っていた椅子を別の椅子に変えたわけでもなく、ただただ、座っている位置をちょっと変えてみただけなのでしょう。
まるで、椅子をそっと何気なく向かいたい方向に寄せてみるように。。。
座る位置を少し変えてみただけで、見える世界の色は変わり、耳に届く言葉も変わり、私の心に宿る思いも変わっていきました。
熊本に帰ってきて約2年経った今、それをひしひしと感じる毎日です。
そして、いつもの日常を愛おしく思う毎日です。
実は、何気ない日常や、昔から持っているものの中に大切なことは詰まっていて、ただ少し、私たちの座っている位置が悪かったり、焦点が少しずれていたりすることで、目の前の世界が鈍い色に見えているだけなのかもしれません。
そして、少し角度を変えてみたり、座っている位置をずらしてみたり、自分の身体をそっと動かしてみることで、ただただほんの少しの違いを生むことにより、目の前にキラキラ光る宝物が用意されていたことに気づくのかもしれません。
愛と笑顔とHAPPYをお鍋いっぱいに詰めて♪

大きな改革を試みようとする人は、それにまつわることをいろいろしなくてはならなくなって、よほどすごい力を使わないかぎり、かえって改革ではなく、自滅することになったりするのです。
まず自分に与えられた人生を尊んで、静かに改革していってください。
「今あなたに知ってもらいたいこと」 オノ・ヨーコ著
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「卵を割る方法」 Vol.3
「人に伝える」、「会いたい人に、会いに行く」。
2つの大きな卵を割りつつ、その他にも小さな卵たちを割ってみていた頃、私はもう一つ大きな卵を割りました。
それが、「地元へ帰る」という卵です。
いわゆる“大都会:東京”で暮らしていた私は、いつしか“田舎”での生活に憧れるようになっていました。
もちろん、いろいろな要因が重なったことにより、田舎での生活に思いを馳せるようになったのですが、なんだかんだと間逆のものに惹かれてしまうことも、ある意味私の性かもしれません。
そして、その時の私にとって“田舎”とは自分の故郷、つまり熊本のことを指すのではなく、どこか別の“田舎”でした。
昔から、新しい場所や出会ったことのない人たちとの出会いに興味をかきたてられる私にとって、次に移り住む場所は地元・熊本ではなく、どこか別の新しい、まだ見ぬ“田舎”でした。
そうですね。
その時の私は、地元だったからこそ、熊本の全てを知っているような気がしていて、全てのことが見えているような気がしていて、別の角度から見直そうという気持ちさえ湧いてこなかったように思います。
そんな私ですが、まだ見ぬ“田舎”へ行く前の休息地として熊本へ帰って来て約2年。
新しい土地へと旅立つこともなく、未だに熊本で暮らし、そして熊本で働いています。
むしろ、毎日笑顔いっぱい愛いっぱいで、心から熊本での生活を楽しんでいます。
そう。熊本に帰ってくる前、そして帰ってきた直後の私にとって、「地元・熊本」は、新しい土地へ行くための「通過点」でしかありませんでした。
その時の私は、失礼ながら熊本の良さや新しい発見には目を向けず、次にステップアップするためには、私のことを知る人のいない新しい土地へ行かなければ成長できない、とさえ思っており、少し浮き足立ってさえいたように思います。
しかし、人生というものはおもしろいもので、当初描いていたとおりには事は進まず、流れに身を任せるままにのんびりと過ごしているうちに、いろいろなご縁に恵まれ、気づけば熊本で暮らし、働き続けている私がいます。
浮き草のようにゆらゆらと漂うことに憧れていた私も、ふっと全身の力を抜くことにより、浮き草の性質はそのままに、ひとまず熊本に根をおろし、自分自身を熊本の水で育ててみることにしたのです。
方向を見定め、風の音を聞き、変化していく自分を感じながら身を任せ、力を抜ききることで、自分の道というのは少しずつ開けてきたのかもしれません。
そして、熊本で暮らし、働き、またいろいろな卵を割ってみることで、どうやら私はいつのまにか自分が座っている位置を変えていたようです。
きっと大きく移動したわけでもなく、座っていた椅子を別の椅子に変えたわけでもなく、ただただ、座っている位置をちょっと変えてみただけなのでしょう。
まるで、椅子をそっと何気なく向かいたい方向に寄せてみるように。。。
座る位置を少し変えてみただけで、見える世界の色は変わり、耳に届く言葉も変わり、私の心に宿る思いも変わっていきました。
熊本に帰ってきて約2年経った今、それをひしひしと感じる毎日です。
そして、いつもの日常を愛おしく思う毎日です。
実は、何気ない日常や、昔から持っているものの中に大切なことは詰まっていて、ただ少し、私たちの座っている位置が悪かったり、焦点が少しずれていたりすることで、目の前の世界が鈍い色に見えているだけなのかもしれません。
そして、少し角度を変えてみたり、座っている位置をずらしてみたり、自分の身体をそっと動かしてみることで、ただただほんの少しの違いを生むことにより、目の前にキラキラ光る宝物が用意されていたことに気づくのかもしれません。
愛と笑顔とHAPPYをお鍋いっぱいに詰めて♪
