私の娘は現在7才。
小学1年生です。
娘が生まれた時、私はフルタイムで働いていました。
1年間の育休を頂き、初めての子育てに挑みました。
娘は抱っこじゃないと全く寝ない子で、寝たと思ってベッドに寝かせると「ウギャー」と泣き出し。
なので本当に自分自身が寝る時間なんて全く無かったです。
人間は、やっぱり食事や睡眠をしっかりとらないと、少しづつ壊れていきます。
私はそうでした。
娘に付きっきりで、寝れず・食べれず・まともにお風呂に入れず・髪の毛を洗えず・洗っても乾かせず。
とにかく自分の時間が全く無くなったことに対するイライラもすごかったです。
その頃、私は全てを完璧にこなさなければいけないと思っていました。
生まれたばかりの娘に対しても、「泣かせちゃいけない」と思いました。
主人にこんなことを言われたことがあります。
「泣き止ませるのも役目でしょ」と。
とても悲しくなりました。
責められている気持ちになりました。
ですが、主人も子育てをする中で色々学び、のちに「イクメン」と言えるくらい子どものことは全てこなしてくれるようになりました。
今では私が丸一日仕事でいなくても、朝の起床から寝かし付けまで全てこなしてくれます。
主人が、「子育ては大変」と理解してくれた後も、私は「自分は頑張らなきゃいけない」と思い続けました。
「手を抜く自分は情けない母親なんだ」と勝手に思い込んでいたからです。
離乳食を手作りして、でも全く食べなくて。
それに対して悲しくなって、泣いてイライラして「どうして食べないの!」と大きな声でまだ1歳にならない娘に言ったこともあります。
自分の理想としていた「お母さん像」とはかけ離れていました。
本当に辛かったです。
でも、今振り返れば、自分を苦しめていたのは自分自身でした。
主人は「完璧な妻・完璧な母」なんて求めていませんでしたし、娘だってそれは同じだったと思います。
自分自身で、勝手に「完璧なお母さんとはこういうお母さんのこと」みたいなのを作り上げて、そこに近づこうとしていたのかもしれません。
でも、ある日こんな事がありました。
あまりにも離乳食を食べないので、薬局でベビーフードを買いました。
買っている自分が正直嫌でした。
「手作りしないで酷い親だ」「私はダメなお母さんだ」と。
娘に対しても「ごめんね」と思いました。
帰宅して、ベビーフードをあげました。
完食でした。
嬉しそうに食べている娘がいました。
食べてくれたことに喜びを感じる自分がいました。
気づくと娘も私も笑顔でした。
その時に肩の力が抜けました。
「完璧なお母さん」の定義、私は完全に間違えていました。
「娘が大切で、とても愛おしくて、ただそれだけで良いんじゃん」って思いました。
「全部を完璧にこなすお母さん」を誰も求めてはいなかった訳です。
主人も娘も。
笑顔でいる妻・母であればそれだけで良かった訳です。
その時の娘は、私がニコニコしてそばにいればそれだけで良かったんだと思います。
「お母さんを泣かすために生まれたんじゃないよ」「一緒に笑うためだよ」って言われている気がしました。
「完璧なお母さん」を求めていた、いや、なろうと思っていた、ならなきゃいけないと思っていたのは、私自身でした。
でもなれない自分にイライラして、辛くなって悲しくなって、いつしか笑顔をみせない妻になり・母になり。
自分が全部原因でした。
頼れるものに頼ったり、少し位泣かせていたり、少し位休憩したり、そういうのをしてはいけないと思い込んでいたのは私自身でした。
案外、自分が辛い状況にある時、「苦しめているのは自分自身」ということがあります。
娘が生まれた時、私はこんなでした↑
なので物凄く神経質な所があって、「毎日しっかり掃除しなきゃ・・」「家を綺麗にしなきゃ・・」なんてことを思っていた気がします。
ですが、息子が生まれた時には、だいぶ自分自身も変わっていて、以前の様な辛さはありませんでした。
当然、私の考え方も変わっていて。
以前までの私なら、こういうの考えられませんでした↓

子ども部屋の壁に黒板シートを貼っています。
2人ともお絵描きが好きなので、思いっきりかけるように設置しました。
ですが、チョークの粉が沢山部屋に落ちますし、壁にシールの跡もつきますし、昔の神経質な私なら「とんでもない!!」とこんなものは貼らなかったでしょうね(笑)
ですが、今の私は「子どものものは散らかって当然。別にふけばいいし。」とかなり楽観的な感じです。
何でこんな風に思えるようになったか。
思えるようになったというよりは、自分にとってラクな方がどちらか分かったからです。
そして、子どもも私も笑顔でいるには、「理想に近づこうとするお母さんでいること」は不要だと分かったからです。
私は私。
子どもは「完璧なお母さんが欲しい」訳ではないんですよね。
お母さんが、お母さんなら、子どもは嬉しいんですよね。
私が、なぜこんな話をしたかと言うと、よく勘違いする方がいるからです。
以前こんなことを言われました。
「梶ヶ谷さんのご家族は幸せですね。こんなに片付いている家にいたら絶対幸せですよね。」
それは違います。
「片付いているから幸せ」ではないですよね。
片付いていなくても、幸せですよ。
そこにお母さんや家族の笑顔があれば、それで幸せです。
片付かなくて毎日お母さんも子どももイライラして、ご主人様ともそれが原因で喧嘩ばかりというのなら、また話は別ですが、片付いていなくても、そこに家族の笑顔や笑い声があるのなら、それはとても幸せなことです。
「片付けなきゃいけない」「片付けられない自分は悪い」と思い込んでいるのは、案外自分だけということもあります。
それが自分自身を苦しめていることもあります。
でも、家族が求めているのは、お母さんが無理して毎日毎日ぜーぜーしながら疲れた顔をして作り上げた空間ではないかもしれません。
何かが出しっ放しでも、多少ゴチャゴチャしていても、お母さんと笑顔で過ごせるなら、それが一番幸せなのかもしれません。
「お片付け」で自分自身を苦しめないで下さいね。
私がベビーフードを頼ったように、もし、本当にお片付けでお悩みなら、お近くのプロに頼っても良いと思います。
「頼る自分は情けない」なんて思わないで下さい。
「自分が笑顔になれる」ものがあるなら、頼って下さい。
それが家族の笑顔にもなります。
何か長くなっちゃいました。
そして「何が伝えたかったんだ??」という感じになってしまいましたが、何かしら伝わっていたら私は嬉しいなと思います。
今日は良いお天気ですね。
皆さんの笑顔の花が咲く一日でありますように。
小学1年生です。
娘が生まれた時、私はフルタイムで働いていました。
1年間の育休を頂き、初めての子育てに挑みました。
娘は抱っこじゃないと全く寝ない子で、寝たと思ってベッドに寝かせると「ウギャー」と泣き出し。
なので本当に自分自身が寝る時間なんて全く無かったです。
人間は、やっぱり食事や睡眠をしっかりとらないと、少しづつ壊れていきます。
私はそうでした。
娘に付きっきりで、寝れず・食べれず・まともにお風呂に入れず・髪の毛を洗えず・洗っても乾かせず。
とにかく自分の時間が全く無くなったことに対するイライラもすごかったです。
その頃、私は全てを完璧にこなさなければいけないと思っていました。
生まれたばかりの娘に対しても、「泣かせちゃいけない」と思いました。
主人にこんなことを言われたことがあります。
「泣き止ませるのも役目でしょ」と。
とても悲しくなりました。
責められている気持ちになりました。
ですが、主人も子育てをする中で色々学び、のちに「イクメン」と言えるくらい子どものことは全てこなしてくれるようになりました。
今では私が丸一日仕事でいなくても、朝の起床から寝かし付けまで全てこなしてくれます。
主人が、「子育ては大変」と理解してくれた後も、私は「自分は頑張らなきゃいけない」と思い続けました。
「手を抜く自分は情けない母親なんだ」と勝手に思い込んでいたからです。
離乳食を手作りして、でも全く食べなくて。
それに対して悲しくなって、泣いてイライラして「どうして食べないの!」と大きな声でまだ1歳にならない娘に言ったこともあります。
自分の理想としていた「お母さん像」とはかけ離れていました。
本当に辛かったです。
でも、今振り返れば、自分を苦しめていたのは自分自身でした。
主人は「完璧な妻・完璧な母」なんて求めていませんでしたし、娘だってそれは同じだったと思います。
自分自身で、勝手に「完璧なお母さんとはこういうお母さんのこと」みたいなのを作り上げて、そこに近づこうとしていたのかもしれません。
でも、ある日こんな事がありました。
あまりにも離乳食を食べないので、薬局でベビーフードを買いました。
買っている自分が正直嫌でした。
「手作りしないで酷い親だ」「私はダメなお母さんだ」と。
娘に対しても「ごめんね」と思いました。
帰宅して、ベビーフードをあげました。
完食でした。
嬉しそうに食べている娘がいました。
食べてくれたことに喜びを感じる自分がいました。
気づくと娘も私も笑顔でした。
その時に肩の力が抜けました。
「完璧なお母さん」の定義、私は完全に間違えていました。
「娘が大切で、とても愛おしくて、ただそれだけで良いんじゃん」って思いました。
「全部を完璧にこなすお母さん」を誰も求めてはいなかった訳です。
主人も娘も。
笑顔でいる妻・母であればそれだけで良かった訳です。
その時の娘は、私がニコニコしてそばにいればそれだけで良かったんだと思います。
「お母さんを泣かすために生まれたんじゃないよ」「一緒に笑うためだよ」って言われている気がしました。
「完璧なお母さん」を求めていた、いや、なろうと思っていた、ならなきゃいけないと思っていたのは、私自身でした。
でもなれない自分にイライラして、辛くなって悲しくなって、いつしか笑顔をみせない妻になり・母になり。
自分が全部原因でした。
頼れるものに頼ったり、少し位泣かせていたり、少し位休憩したり、そういうのをしてはいけないと思い込んでいたのは私自身でした。
案外、自分が辛い状況にある時、「苦しめているのは自分自身」ということがあります。
娘が生まれた時、私はこんなでした↑
なので物凄く神経質な所があって、「毎日しっかり掃除しなきゃ・・」「家を綺麗にしなきゃ・・」なんてことを思っていた気がします。
ですが、息子が生まれた時には、だいぶ自分自身も変わっていて、以前の様な辛さはありませんでした。
当然、私の考え方も変わっていて。
以前までの私なら、こういうの考えられませんでした↓

子ども部屋の壁に黒板シートを貼っています。
2人ともお絵描きが好きなので、思いっきりかけるように設置しました。
ですが、チョークの粉が沢山部屋に落ちますし、壁にシールの跡もつきますし、昔の神経質な私なら「とんでもない!!」とこんなものは貼らなかったでしょうね(笑)
ですが、今の私は「子どものものは散らかって当然。別にふけばいいし。」とかなり楽観的な感じです。
何でこんな風に思えるようになったか。
思えるようになったというよりは、自分にとってラクな方がどちらか分かったからです。
そして、子どもも私も笑顔でいるには、「理想に近づこうとするお母さんでいること」は不要だと分かったからです。
私は私。
子どもは「完璧なお母さんが欲しい」訳ではないんですよね。
お母さんが、お母さんなら、子どもは嬉しいんですよね。
私が、なぜこんな話をしたかと言うと、よく勘違いする方がいるからです。
以前こんなことを言われました。
「梶ヶ谷さんのご家族は幸せですね。こんなに片付いている家にいたら絶対幸せですよね。」
それは違います。
「片付いているから幸せ」ではないですよね。
片付いていなくても、幸せですよ。
そこにお母さんや家族の笑顔があれば、それで幸せです。
片付かなくて毎日お母さんも子どももイライラして、ご主人様ともそれが原因で喧嘩ばかりというのなら、また話は別ですが、片付いていなくても、そこに家族の笑顔や笑い声があるのなら、それはとても幸せなことです。
「片付けなきゃいけない」「片付けられない自分は悪い」と思い込んでいるのは、案外自分だけということもあります。
それが自分自身を苦しめていることもあります。
でも、家族が求めているのは、お母さんが無理して毎日毎日ぜーぜーしながら疲れた顔をして作り上げた空間ではないかもしれません。
何かが出しっ放しでも、多少ゴチャゴチャしていても、お母さんと笑顔で過ごせるなら、それが一番幸せなのかもしれません。
「お片付け」で自分自身を苦しめないで下さいね。
私がベビーフードを頼ったように、もし、本当にお片付けでお悩みなら、お近くのプロに頼っても良いと思います。
「頼る自分は情けない」なんて思わないで下さい。
「自分が笑顔になれる」ものがあるなら、頼って下さい。
それが家族の笑顔にもなります。
何か長くなっちゃいました。
そして「何が伝えたかったんだ??」という感じになってしまいましたが、何かしら伝わっていたら私は嬉しいなと思います。
今日は良いお天気ですね。
皆さんの笑顔の花が咲く一日でありますように。