FBの方で、シンガポールの記事が楽しみ!というお声が多かったので、
深谷の紹介を、今日、ギュギュっとまとめてしまいます~(笑)。

 

 

こちらは、誠之堂(せいしどう)という建物。重要文化財に指定されています。

大正5年、渋沢栄一氏の喜寿(77歳)のお祝いに、第一銀行行員たちの

出資により建てられたものだそうです。

 

喜寿のお祝いって・・・そうそう!東京の王子に残る晩香廬(ばんこうろ)
あちらは、清水建設からのお祝いの建物だったそうですから、渋沢氏の

お人柄が偲ばれます。

 

 

植え木の陰になってて見えませんが、壁に、煉瓦による朝鮮風の装飾文字で、

「喜寿」と入っています。

 

 

見学人数が多かったためか、この日は、こちらの入口から中へ案内されました。

 


円筒形の漆喰天井(ヴォールト天井)は、石膏レリーフにより、雲、

鶴、松葉の緑、壽の文字が配された朝鮮風になっているそうです。

 

 

設計は、田辺淳吉氏。天然スレート葺き煉瓦造で、条件とされた、

「西洋風の田舎屋」で「建坪30坪前後」に沿い、設計されたもの。

田辺氏は「凝らない工夫をした」と述べたそうですが、実際には、

随所に凝った仕様が見られる建物になったのだそうです。

 

 

こちらは、中国漢時代の画像石を模したもので、田辺氏の部下の森谷延雄氏の

図案によるもので、漢時代の貴人と従者、それを饗応する歌舞奏者と厨房の

人物たちは、栄一を貴人に見立てて喜寿を祝っている様子と考えられているそう。

また、ハンダ付の技法などから、製作は宇野澤組ステンドグラス製と推察される

そうです。

 

 

ドアや窓などの金具は、清水組がアメリカのYALE社へ発注した特注品で、

「SCHIMIDZU」という刻印があり、製造者と発注者両方の刻印がある、

珍しいものなんだそうです。

 

 

誠之堂の隣には、やはり重要文化財の清風亭があります。

これら2つの建物は、元々、世田谷の第一銀行の清和園敷地内にあったもので、

昭和46年に第一勧業銀行が清和園の敷地の大部分を聖マリア学園(セント・

メリーズ・インターナショナル・スクール)へ売却した後は、土地建物の所有は

銀行のままだったものの、外国人教員の校宅や集会所として貸し出されていて、

その後、学校の敷地拡充計画により、取り壊しが決まったため、深谷市が

渋沢氏に縁のある、2つの貴重な建築物の受け入れることになったんだそうです。

 

 

清風亭は、大正15年、西村好時氏設計のスパニッシュ瓦葺きRC造平屋建。
大正12年の関東大震災を契機に、構造が、煉瓦造からRCへ代った初期の

貴重な建築物でもあるそうです。

当時、第一銀行頭取だった佐々木勇之助氏の古希(70歳)を記念して、

第一銀行行員らの出資により建てられたもの。

 

 

外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁に黒いスクラッチタイルと、鼻黒煉瓦が

アクセントをつけているんだとか。

スパニッシュ瓦、ベランダのアーチ、出窓のステンドグラスや円柱装飾などは

「南欧田園趣味」という当時流行していたスペイン風の様式が使われている

そうです。

 

 

古希を祝われた佐々木氏は、28歳の若さで第一国立銀行本店支配人を

はじめ、数々の役職を歴任し、大正5年に、栄一氏の後をついで第一銀行の

二代目の頭取を務めた人物で、勤勉精励、謹厳方正な性格で知られ、栄一を

終始補佐した人だったのだそうです。

 

 

当初、この建物の建設を辞退しようとしたとも伝わっているそうです。

 

 

誠之堂に比べると、シンプルな暖炉になっていました。

 

 

素敵な照明でしたが、当時からのものなのか聞いてきてません~。

 

 

外壁の飾枡には、銅版の打ち出しによるセミの模様がついていました。

 

 

これら二つの建物の移築、特に、煉瓦構造物の移築は、日本でも初めての

試みだったため、検討委員会を設置し、レンガ壁をなるべく大きく切断して

搬送し、移築先で組みなおす「大ばらし」を応用した日本初の工法を採用し、
配置も、清和園でのものとほぼ同じにして復元したのだそうです。


ということで、深谷の渋沢氏ゆかりの建物のご紹介を終わります。
次回からは、シンガポールで見てきたものをご紹介したいと思います♪