外側の雨戸を閉めてあったので、外光が入っている部分が少なかった
のですが、こちらは、正面玄関だった部分の反対側を撮っています。
右側に、チラリと写っていますが、らせん階段上に2階へ上がる階段が
ついています。
教室の入り口は、沢山の子ども達に踏まれてきた教室だけあって、
柔らかいカーブに削れていました。
・・・あったな~、昔の木造教室には、こういうの。
こちらは、屋根に乗っていた鬼瓦の古いもの。
すごく凝ったデザインが施されていたことがわかります。
こちらは、風見鶏風に取り付けられた、屋根の飾りの東西南北の
取り換える前のバージョンだそうです。
明治20年以降は、コンドルの指導を受けた建築家たちが活躍
し始めたそうなので、日本人が見て真似した擬洋風の建物でしか
見られなかった飾りなのかもしれません。
設計をした棟梁の立石氏は、代々続く棟梁の家柄で、
地元でとても信頼されていた一方で、新しいものを取り入れる
ことにも柔軟な人だったのだとか。
オシャレなドアですね。ここにガラスがはまっていたら、
教室内はもっと明るかったのかもしれませんが、こんな風に
当時のまま残されているのは、古い建物好きにとっては、
とてもありがたいです。
こちらでは、「子守り教育」も行われていたそうです。
「子守り教育」というのは、家庭が貧しくて、裕福な家庭に「子守り」
として奉公にだされていた子ども達で、子守りをしながら校庭で遊んで
いた子ども達に、読み書きや算術を教えていたのだとか。
昭和9年まで子守り教育をしていた記録が残っているのだそうです。
続きます。





