建物の中には、磨きこまれた長い廊下が続いています。
今は、こんな風に、長い廊下を挟んで、左右に教室が並んでいますが
右側の教室が暗いということで、一時は、片側廊下式に変えていた
時期もあったそうです。(今は復元されています)
ちらっと見えますが、入り口のドアには。。。
ん?龍?
身体は鳥のような・・・シッポは魚のような・・・(笑)。
きっと、子ども達は「龍じゃな~い!」なんて、ギャハハって
笑ったりしてたのかもな~なんて、ウチの子が小さい頃を
思い出して、想像してしまいました。
1室、当時の教室の様子が再現されています。
私が低学年の間、まだまだ、こういう小さい机使ってた記憶が。。。
建て替え前の教室の床も、こんなだった記憶があります。
こんな床をぞうきんがけしてました(笑)。
今は、こんな木製の床の教室の方が珍しいでしょうね。
天井は、紙天井という造りになっていて、「細川紙」という和紙を
4層に重ねて強度を増し、その上に、「鳥の子紙」という厚い和紙
を貼って仕上げてあるそうです。
こちらの学校が開校した時、教員33人、生徒1051人もいたのだ
そうです。というのも、松本藩の藩校の基盤があったからなんだ
とか。教科は、読本課、算術課、習字課、英学課で、英語を教え
たのは、県下では開智学校のみだったのだそうです。
明治に入り、松本藩の中のお寺は廃仏毀釈の流れから、
寺を学校にという施策がとられ、開智学校の場所も、元は
松本藩の菩提寺だった場所だったのだそうです。
開智学校の校舎には、その菩提寺だったお寺や周辺の
お寺の木材自体を使ったり、それらの木材を売った資金を
充てたりしたそうです。
続きます。




