※※※※※こちらの入場には、事前申し込みが必要です※※※※※

昨日の屋根の部分をもう少し詳しくご紹介します。
両サイドにあった、魔除けの武士の下には、更に、脱いで置かれたような武具があります。

草摺りのついた鎧です。
こちらは、望遠レンズがないと、肉眼ではほとんどわかりませんが、
同じモチーフが、「朝日の間」にも使われていたので、ボランティアの解説員の
方に質問してみたら・・・こちら、当時は、「陸軍」を表していたのだそうです。
ちなみに、噴水がある側の屋根のモチーフは・・・

あんまり寄って撮った写真がなかったので、イマイチ分りませんが、
兜や鎧ではなさそうです。
そして、ボランティア解説員の方に教えて頂いて、ここ数年、古い建物を
回っていて気になっていた家紋について、謎が少し解けたのでした。
それは、菊の紋と、桐の紋について。
元々、皇室では、桐の紋を使っていたそうですが、鎌倉時代の後鳥羽上皇が
とても菊の紋を気に入っていたそうで、その頃から、菊の紋を使い始め、
桐の紋は副紋として使う一方で、功績があった者に対して、天皇から下賜(かし:
高貴な人が身分の低い者に与えること)するようになったそうです。
そうして、頂いた家紋を、更に、その人が部下に与えることもあったようで、
調べてみると、秀吉が桐の紋を使うようになったのは、信長に許されてから。
そして、太閤になった時に、改めて、「豊富」姓と共に、皇室から「桐」の紋の
使用を正式に下賜され、秀吉自身も、部下たちに桐の紋の使用を許したようで、
桐の紋の種類が多く、使っている家系が多いのは、そういう理由だったのだと
わかりました~。 φ(.. )
そういう訳で、この迎賓館にも、菊の紋と、桐の副紋が使われています。
正面玄関と・・・

噴水側の正面には、菊の紋。
そして、両翼の屋根には、桐の紋↓がついています。

ちなみに、ここ、迎賓館でのシンボルマークとしても、この五七の桐が
室内に使われているだけでなく、晩餐会用の食器などでも使われています。
今は、政府の紋も、この五七の桐が使われていますものね。
続きます~。

