文字を読んだり書いたりすると、気持ち悪くなる日々なのだけど、適応障害の軌跡は後々のために残しておきたいのでがんばって書く。
(完全に自分のために書いてるので、とても長いです。)
前回の思わぬ展開から1ヶ月くらい経つことにちょっとびっくり。
この1ヶ月の間にも少しずつ物事は進んでる。
徐々に、復帰したい、という気持ちは確かなものになってきて、そのためにどうするか、という思考になってきた。
①病院でリワークプログラムを受けることにした。
ただ私の場合諸事情で、リワークプログラム後すぐの復帰を目指してではなく、復帰を視野に入れた心の準備のような感じ。
プログラムへのイレギュラーな参加形態になるし、ほかの参加者とのモチベーションと異なると思われるけど、病院の先生は私に参加の意思があるなら私の希望を取り入れながら参加させてくれる模様。
最初リワークプログラムへの説明が十分じゃなかったからもう一度病院に来て、と呼び出されたのでちょっと医者にむかっときてたけど、話してみて今の私の事情を考慮して参加の仕方を考えてくれているようだったので、これはむかっではなくて、感謝するところだと思った。
で、書き残しておきたかったのは、このリワークプログラムにどれくらい参加するかについて。
まだ結論を出してないんだけど、
本来週4回あるが、それに全部参加するのはフィジカル的に無理。
プログラムを決めて週2回半日、
という案が先生と話してる時は有力だったけど、正直結構つらいな、というのがあった。でも、結構つらいなというのは自分の意識として自覚はあまりなくて、むしろ行くならこれくらいは頑張らないといけないのでは、という考えだった。
その後ちょっとだけ旦那さんに相談したら、「週2回は多すぎる」と言っていて、「あ、やっぱりそうだよね」と思った。
ここで初めて週2回半日結構つらいな、というのを自覚した。
でも一方でこれくらい頑張らないと、という考えもあったわけだけど、
それを頑張ることにどんな意味と価値があるのだろうか?
と思った。
そしたら自分で勝手にハードル設定してるだけだな、と気付いた。
このハードル設定の基準は、今までの生き方の癖が反映されてて、『ちょっと無理するくらいのがんばり』、これをしないと今までの私の中では頑張ったことにはならない。
この『無理するくらいのがんばり』をして、初めて自分の中で自分は頑張ったと認められ、意味のあるものになる。
楽にできる、無理、苦しみを伴わない頑張りでは、頑張ったうちに入らない。成長できない。意味はない。
そして、頑張れない自分はダメなのだ。
と、当たり前のように考えていた。
でも今は、頑張れないこと以上にもっとダメなのは、自分で自分のことをダメと思うことだと思う。
というわけで、頑張りたい気持ちはあるわけだけど、『ちょっと無理ながんばり』をスタートにするのではなく、気楽に『これくらいならできるかな』という余裕のあるスタートにしたいと思う。
その結果どうなるかを見てみたい。
②カウンセリングに行くかもしれない
こちらはリワークプログラムよりも弱めの意思設定。
というのも、カウンセリングは受けたいんだけど、時期的に今が適切なのかが自分の中で?だから。
カウンセリングは、一年前発症時から受けたかったが、先生は反対派だった。
それよりゆっくり休む方がいいと言われていた。
で、休みつつも、自分はなぜこう感じるのか?とか自分の心にいろんな謎があったから自分で調べて心を解き明かしていった。
もう休職して一年になり、辛かった出来事から一年ちょっとが経過する。
経過した時間の長さからすると回復しててもいいところが、私の場合はまだ不安焦燥、情動不安定なところがある。
自分の中で、つらかった出来事は結構過去の出来事という感覚になってきてるから、自分の中でいろいろ調べて向き合ってきたことには意味があって、その出来事は乗り越えてるのかもしれないけど、
前のような発作的な苦しさとかそういうのではなくて、何かのポイントで涙が出てきてしまう。
でも、それが何かははわからない。
というか、私が泣くのは昔からなので、性格的なものかと思ってたけど、先生の目から見ると違うみたい。
確かに管理職と電話しただけで泣く。
冷静に話してるのに泣く。
これに関しては、一年前の出来事ではなく、育った家庭のことも関係してるかもしれない?らしい。
大いに関係していてもおかしくない不安定な家庭だったし、他人からどう思われるかが過剰に気になるので、私としては私の中にあるその何かを明らかにして、乗り越えたい。
人との付き合いをもっと楽にしたいし、
まっすぐ子どもに愛情を注ぎたい。
だから、カウンセリングにいきたい。
けど、カウンセリングは副作用もあるので今が適切かは体調面&第三者と相談。
話が少し逸れるけど、とてもありがたいのは、私が電話で泣きじゃくってても管理職が超冷静なこと。
「なんで涙がでるか自分でもわからないと大変だよねぇ。カウンセリングいいんじゃない?」という感じで、ゆるーく返してくれて、「泣いちゃった、どうしよう」とか、「なんでこいつ泣いてるの?」とか全くなく、良い意味で私が泣くことに反応しない。
私も勝手に涙がでるので、泣くことになんで?と聞かれてもわからないし、頭は普通に働いててちゃんと考えながら話せるので、泣くという行為自体にあんまり反応しないでもらえるのはありがたい。
むしろ私は近しい人であれば、泣きながら話す方が話した後めっちゃ自分がクリアになってることがよくあるから、泣くことが悪いことばかりとも思ってない。
ただ、今のままだとなんの事情も知らない職場の人の前で泣くことも十分考えられて、自分が自信をなくすので、それは避けたい。だから泣く理由を知りたい。
つまり、なにがそんなに私を不安にさせるのかを知りたい。
③家でごはんをできるだけつくる習慣を作ってる
7月から8月にかけて、体調があまり優れず生活リズムが崩れたが、最近少しずつ回復してきた。
そしたら、気持ち的にもエネルギーが有り余ったのか、暇すぎてつらい、という状況に陥った。
暇すぎることが悩み、というおもしろすぎる日々がしばらく続いて、
何かひとつ頑張ろう、という思いが湧いた。
たまたまYouTubeでメンタリストdaigoの習慣をつくるコツ?みたいな動画があがってて、それによると、ひとつの習慣をつくるのには62日かかるらしく、一度にあれもこれもではなくひとつずつ取り組むのがいいということだった。
ひとつずつでも、一年でうまくいけば5,6個の習慣を作れると思うとそれってすごいことだと思う。
で、本当は私はもっと絵を描くことを生活のルーティンにしていきたいんだけど(描かないとへこむから)、
それより先に生活を固めることがいいと思ったので、早起きしてごはんを作るを習慣にしようと決めた。
でも、予定がないのに早起きすると、結局ごはんを作ったあと寝て生活リズムを整えることにつながらなかったので、
なるべく家でごはんを作る、が習慣になった。
といってもまだ1週間ちょっとくらい。
もともと料理は好きだから、ごはん作れるときは作るんだけど、突然外食することも多かったし、だから食材を無駄にすることも多かった。
今は生活に根ざした習慣にしたいと思うからか、冷蔵庫にあるものを把握しながら献立たてよう、外食するならおいしいものにしよう、外食するなら必要性のあるときにしよう、浮いたお金もっと楽しいことに使おうっていう考えになってる。
そしたら、おもしろいことにこの1週間ちょっとの間でも今までにないメニュー作ったり(手間がかかるから避けてたものも楽しく作れる)、冷蔵庫の整理したり、自然と行動する自分がいて、とてもいい暇対策になってる。
あと多少できなかったことがあっても、「今私ごはん頑張ってるし」と、自分を励ます効果もある。むやみやたらにへこむ必要がなくなる。
ごはんが習慣になったら、掃除片付けを、その次は絵を習慣にしたい。
今まで外での行動重視だったし、育った家庭もあまり片付いてなかったし、生活を心地よく回す力が弱かったので、生活力身につけたいなと思う。
④仕事への考え方が少し変わった
今までやりたいこと重視で、やりたいことにぴったり合致してないとダメな気がするという完璧主義が発動していた。
復帰したあとにする予定の仕事は、内容的にはあまり興味がない。
イメージもつために、本を探して本当に少しだけ読んでみたけど(文字を見ると気持ち悪くなるからあまり読めない。)新しい専門分野で未知の世界。
結構勉強が必要だということがわかった。
幸い私は勉強があまり苦にならない。
だから、時期がきたらきっとそれなりに勉強すると思う。
問題は、私が仕事に興味を持ってこれが私の仕事だと喜びを感じながらできるのか?という点なのだが、
そこまでぎちぎちにやりがい重視にならなくていいのではないか、と思う。
私は子どもと接する仕事がしたい。
それから、おいしいもの食べること、旅行すること、カフェでのんびりすることが好き。
旦那さんや家族と今のような穏やかな生活を送りたい。
だから、その生活に必要なお金を稼ぎたい。
それが叶う仕事はいくつもあると思うけど、今の私にとって具体的にイメージつくのが復帰してその仕事をすること。
それで、仕事や子育てしながらの気付きをたくさんメモして、それを紡いで本や絵を描けたら最高。
水墨画教室にこのまま通えたら最高。
そんなゆるーいイメージ。
このイメージだとあんまり力んでなくて、いいんじゃないかなぁと思える。
仕事に求めることも、子どもと接する&お金と明確になってるのも気楽でいい。
好かれなくちゃ、うまくやらなきゃ、年相応に責任ある仕事しなくちゃ、
その場になったらそんなこと思うかもしれないけど、全部をうまくやろうとしていた今までよりは苦しくなることはないように思う。
以上、最近の備忘録でした。