2014年11月30日のブログをリブログします。3回目のリブログです。

 

 自前のデータベース「教材帖」に保存した新聞記事を通読していると、学校現場での教育実践の変化がよくわかります。
 「ゆとり教育」が始まったころの出来事を書いた私のメモが「教材帖」にあります。

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 2002(平成14)年度から2010(平成22)年度まで、子どもたちは「ゆとり教育」の下で教育を受けた。当時の学習指導要領で登場した新しい教育が、「ゆとり教育」を象徴する「総合的な学習の時間」だった。
 「ゆとり教育」が失敗したのは、「文科省の理念は正しかったが、学校現場で効果的な授業ができなかった」ことが最大の原因だろう。
 しかし、学校ばかりが悪いわけではなく、理念を実現するためには定められた授業時間数も中途半端で、わずかな教育予算しか与えられない公立学校では、総合学習のための優秀な講師を招くことができなかったし、必要な教材・教具も買えなかった。
 2002(平成14)年、教務主任だった私は「総合的な学習の時間」の研究指定校の公開研究会を参観した。
 公開研究会では、地元の商店主を講師に招き、『カレーライスを作ればインドがわかる』とか『キムチを食べて韓国を知ろう』と題した授業に、教師も子どもも、大真面目に取り組んでいた。
 しかし、研究会資料を読んでも、2時間通しの授業を見ても、家庭科の調理実習と変わるところが見つからなかった。
 授業後の研究発表の場で、研究校の校長が「わたしたち教師は、教育観の転換を図らなければなりません」と挨拶をしたのを聞いて、私は、悲しみと怒りが混ざったような感情がこみ上げ、批評箋(ひひょうせん/アンケート用紙)を書いた。
 「家庭科の授業とどう違うのですか?」
 「こんな授業を週に3回もやって、子どもたちの学力は保障されますか?」
 「国・社・算・理などの教科をしっかり教育すれば十分です」
 このように書いた批評箋を回収箱に入れて、とぼとぼと勤務校に帰った。

(初稿2012.10.06)

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 まさか、今でもこんな授業が行われているとは思えませんが、「ゆとり教育」の下で総合学習が始まったころから、各教科において「何の教科か、わからないような授業」が野火のように広がっていったように思います。

 新聞によれば、小中学校や高校では、次期学習指導要領の下で、英語が相当強化されるようです。
 それはそれでよいのですが、私は、教師としての最晩年、上述のような「ゆとり教育」の嵐が吹き荒れる学校現場にいましたので、新しい教育が行われるようになっても、授業時間数の無駄遣いにならなければよいと懸念しながら、「読み・書き・計算」の復権を切に望んでいます。