ぜひとも残しておきたい5年前のブログをリブログします。
山崎氏のご冥福を謹んでお祈りいたします。
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「学際的」という言葉があります。
がくさいてき【学際的】
(英interdisciplinaryの訳語)〔形動〕研究や事業がいくつかの学問分野にまたがること。「学際的研究(協力)」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
私は、2012年2月22日の読売新聞文化面(下の写真)の記事を読み、「こういう人が学際的研究者というのだろう」と尊敬し、憧れました。
(データベース「教材帖」より)
その人は、劇作家、評論家、演劇研究者、大阪大学名誉教授、経済産業省参与。文化功労者、日本芸術院会員・・・等々の肩書を持つ山崎正和氏です。
「山崎正和さん 『世界文明史の試み』 ─ 一有機体へ向かう道程 ─ 」という記事の表題を読み、興味を持って詠み進めると、腹の底から知的好奇心が湧きあがってきました。
当時、さっそく『世界文明史の試み』を買おうと思いましたが、ようやく「この世に生き返った」ばかりでお金もなかった私はすぐに買うことができず、少しずつお金を貯めて古書を買ったのが2014年でした。
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世界文明史の試み 神話と舞踊
2011(平成23)年12月10日 初版発行
2012(平成24)年10月20日 三版発行
著者 山崎正和(やまざき・まさかず)
発行者 小林敬和
発行所 中央公論新社
定価:本体3,200円+税(古書価格2,200円)
<帯>
いまや地球的な規模で普遍化しつつある現代文明。その始原を先史時代に探り、人類の文明史を一貫した趨勢の連続として捉える野心的論考。
2014(平成26)年2月7日 購入
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余談ですが、新品同様の古書を手に取ったとき、古書店のありがたさを実感し、本書の購入がきっかけとなり、古書店で本を買うことが習慣になりました。
もう一つ思いました。「新聞記事のレベルの高さ」です。
果たして、新聞の文化面や論説面の記事を、どれだけの高校生が読みこなせるだろうか、と。
相当な学力がないと、高校生が文化面や論説面の記事を読みこなし、理解することは困難だと思いました。
さて、昨日 2016.02.01 の読売新聞1面・2面の「地球を読む」という連載記事に、義務教育に対する山崎正和氏の提言論文が載りました。
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見出し
『義務教育の現状』
中見出し
『教員の負担増 学校に危機』
『基礎学力習得 国の責務』
(データベース「教材帖」より)
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以下、山崎氏の提言論文を要約します。(文責 素人学者)
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人づくりの基礎となる義務教育の現場が、いま危機に直面している事実は意外なほど知られていない。
経済格差の拡大、家族関係の歪ゆがみなどによって、学齢以前の子供の基礎教育が疎おろそかになっていることが原因だ。
貧困家庭、父子・母子家庭の増加に伴い、要保護・準要保護家庭は2012年度は6人に1人の割合に達した。そうした家庭では親子の接触時間が減り、しつけなどが不十分にならざるをえず、確実に学校現場に影響を与えている。
貧困家庭は次の世代をも貧しくすると言われるが、、その前にこれを防ごうとする学校教育を困難にし、教員の負担を重くしている現状がある。
現代では、障害児童・生徒も通常の学校で教える傾向が強まっており、症状ごとに個別に教える苦労は尋常ではない。
国際化は外国人生徒の数を過去10年間で1.6倍にし、日本語能力が不十分で日本の生活に適応しない生徒への個別指導も学校の仕事になっている。
元来、日本の教員は忙しかったが、こうした社会変化は多忙を加速した。労働時間も過酷で、しかも採点や授業準備の一部を家庭に持ち帰る場合も多く、日本の学校現場はブラック企業に近いといえる。
これらの学校現場の窮状への無理解を端的に示した事件が、新年度の予算編成の過程で起こった。財務省が、「費用対効果」を論拠に、教職員全体を大量に削減し、教育困難校を支援するための教員の加配定数まで大幅に縮小すると主張したのだ。
授業とはロボットのように黒板の前で喋しゃべることではなく、子どもの個性に応じて心身の成長を図る仕事であることが、まったく忘れられている。
国は新しい人材を育成し、資格を新設し、職場を確保するために巨額の支出を覚悟するべきだろう。それができない現状では、せめて既存の学校に福祉の機能をつけ加え、それを実現するのに十分な能力を持つ教員を確保するほかはない。
義務教育の本質をさらに深く見直せば、現在の小中学校の実態は、ただ現状を守るという姿勢では終われないことは明らかである。
現代日本の「高学歴・低学力化」には目を覆うものがあり、その遠因は義務教育にある。
「高学歴・低学力化」は衆目をあつめるようになった。義務教育の内容は相当に高く、習得すれば社会人の教養として不足はないのに、それを国民の義務として習得させる制度がないからである。
学制のどこにも落第の関門がなく、質を問わねば全生徒を受け入れるだけの高校、大学がある。義務教育の充実は国の義務であり、それを習得するのは国民の義務である。両者の義務を果たすためには、ぜひここで制度の不備を正し、学校教育の強制力を強める必要があろう。
具体的には、クラスの少人数化によって個別指導を深めるとともに、全国一斉の試験を課して卒業資格を確認するのである。落第した生徒には高校進学は認めるものの、不合格の学科を再習得するための補講を課すことにする。
かなりの高校生が学力不足のまま在籍している。高校にはそうした生徒を大学へ丸投げするのではなく、基礎教育の完成を助ける道義的な責任があるはずである。
当面は金のかかる話だが、問題を底深く捉え、政策論上の根本的な反転攻勢をかけるのでなければ、日本の教育は財政の論理の前に萎縮する一方だろう。
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深く納得し、大いに共鳴した提言論文でした。
これで風邪さえ治れば身心の充実を果たせる素人学者であります。
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