過日、司馬遼太郎を特集した文藝春秋増刊号のことをブログに書きました。
この雑誌に目を通して、じっくり読まなければ!と思いつつ、2月には2週間も寝込んでしまいました。ちょうど寝込みの真っ最中(?)、布団の中であれこれメモを取っていたことのひとつが「司馬遼太郎の『この国のかたち』を読む」でした。
と、言うわけで、2月23日に文春文庫版が6冊、到着しました。
各巻の裏表紙に、その巻の概要が書かれているので、紹介します。
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この国のかたち 一 文春文庫 し 1 60
<裏表紙>
日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている ─ 長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起し、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論
この国のかたち 二 文春文庫 し 1 61
<裏表紙>
この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを大小となく煮詰め、エキスのようなものがとりだせないか ─ 。日本史に深い造詣を持つ著者が、さまざまな歴史の情景のなかから夾雑物を洗いながして、その核となっているものに迫り、日本人の本質は何かを問いかける。確かな史観に裏打ちされた卓抜した評論
この国のかたち 三 文春文庫 し 1 62
<裏表紙>
革命をおこした国は倨傲になる。特に革命で得た物差しを他国に輸出したがるという点で、古今に例が多い。明治の日本人には朝野ともにその意識がつよく、他のアジア人にとって不愉快きわまりないものであったろう。 ─ この国の歴史のなかから、日本人の特性を探り出し、考察することによって普遍的なものとはなにかを考える。
この国のかたち 四 文春文庫 し 1 64
<裏表紙>
国家行為としての“無法時代”ともいうべきそのころ(昭和初年から敗戦まで)の本質の唯一なものが「統帥権」にあると気がついたのは、『この国のかたち』を書いたおかげである。 ─ 最後まで、この国の行く末を案じ続けたこの作家が、無数の歴史的事実から、日本人の本質を抽出し、未来への真の指針を探る思索のエッセンス。
この国のかたち 五 文春文庫 し 1 84
<裏表紙>
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(万葉集) ─ 神ながらということばは“神の本性のままに”という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。神々は論じない。 ─ 神道や朱子学はわが国の精神史にいかなる影響を与えたか。日本人の本質を長年にわたって考察してきた著者の深く独自な史観にもとづく歴史評論集。
この国のかたち 六 文春文庫 し 1 85
<裏表紙>
巨星、堕つ ─ 。1996年2月12日、十年間続いた『文藝春秋』の巻頭随筆「この国のかたち」は、筆者の死をもって未完のまま終わることになった。本書は、絶筆となった「歴史のなかの海軍」の他、書き言葉としての日本語の成り立ちを考察した「言語についての感想」「祖父・父・学校」などの随筆、講演記録「役人道について」を収録。
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気力・体力・視力いずれも下降の一途をたどる中、文庫本6冊も読み切れるだろうか、と不安に思いながら、手に取りますと、あにはからんや、その不安は一掃されました。
あに【豈】
〔副〕
1 反語表現に用いる。どうして。何として。①推量の助動詞「む」に助詞「や」を添えた形をあとに伴う場合。まれに「や」のつかない例もある。*万葉‐三四五「一坏(ひとつき)の濁れる酒に豈(あに)まさめやも」*小川本願経四分律平安初期点‐甲「可(アニ)現世に大(いた)く財富を得て、事少くあらむ」②打消の助動詞「ず」に助詞「や」を添えた形をあとに伴う場合。*大乗広百論釈論承和八年点「豈空といふ論も此と過亦斉(ひとし)きにあらずや」
2 (あとに打消表現を伴って)決して。*書紀‐仁徳二二年正月・歌謡「隠(かく)み宿(やだ)りは阿珥(アニ)良くもあらず」
豈=図(はか)らん(や)[=図りきや] 次に来る文で表現される事態が予想外の時に使う。
1 (「…とは」「…と」「…ことを」などという表現を伴って)そんなことを予想しただろうか。*枕‐一六一「あにはかりきや、太政官の地の今やかうの庭とならんことを」
2 (「…とは」との呼応がなくなり副詞的に)思いがけないことには。「豈計らん成績意外にあがり」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
「この国のかたち」の文庫本を手に取ってページを開くと、文字のポイントが通常の文庫本のポイントよりも大きく、しかも行間が広いので、実に読みやすい。視力の低下に閉口している私にとっては、天の助けでありました。
そして、何よりも、司馬遼太郎の文章は、高度な内容にもかかわらず、すらすら読める。これは間違いなく、司馬遼太郎の文章が読み易くて分かりやすいことによるものです。
高度なことを難しく書くことは簡単ですが、特別な研究者ではない、世間一般の人にも十分理解できるように、高度なことを平易(と思わせるよう)に書き上げる筆致は感動ものです。
これなら読める! と、思いました。
そうだ、私のような老い先短い老人だけではなく、高校生の社会科(歴史)テキストとして十分に機能する本だと思いました。
いっそのこと、「この国のかたち」全篇を読了した高校生には日本史の単位をあげてはどうでしょうか、ね。実現するかどうかはともかく、本当にそう思いました。


