大湾節子さんの著書『幻の旅路』の
「第1章 1978年、第一回目の旅」
4月27日~5月21日 25日間 八ヶ国(ツアー)
イギリス→フランス→ベルギー・オランダ→西ドイツ→スイス→オーストリア→イタリア
の読後感を書きます。太字は本書からの引用です。
53ページ エドが案内してくれたパリの町 5月2日~4日
--ここから
翌朝、二人で朝もやのなかにうっすらと浮かびあがるエッフェル塔をホテルの窓から眺める。パリにまた来よう。そしたらまた彼に会えると心ひそかに思ったが、彼との時間はそのときが最初で最後だった。この旅の二年後、彼がアメリカのメイン州の病院に入院していると電話をかけてきた。その翌年、彼の母親から死亡通知を受け取った。享年三十九歳だった。
その後パリには何回も訪れたが、エドが案内してくれたときほど町は美しく輝いては見えなかったのは、気のせいばかりではないだろう。
--ここまで
最初の旅の始まりは4月27日。上記の出来事は5月2日からの3日間の出来事です。
大湾さんは最初の旅の6日目に、「ロンドンからパリに移動する機内で、イギリス住まいのパリに勤務しているアメリカ人のエドとたまたま隣席し」たのでした。そして、「ラム酒のせいではないと思うが、どうもこの町を歩くと誰でも恋をしたくなるらしい」とお書きになっていることからも、モンパルナスタワーからの展望、裏小路のレストランでの夕食、セーヌ川での遊覧船、ファッション街の散策・・・と、大湾さんは、とても素敵な時間を過ごされたようです。
ところが、翌年、エドの訃報を受け取ることになろうとは・・・!
大湾さんの悲しみはいかばかりだっただろう、と想像しながら、人生の旅は、出逢いと別れで構成されている、という考えが浮かんできました。できるならば、楽しい出逢いだけが続けばよいのですが。
56ページ ジャン・ピェールと昼下がりのローマの町を歩く 5月20日 ローマ
--ここから
力のある者ほど大きな物、不滅な物に憧れるが、巨大な遺跡の中に立つと、逆に人間の小ささが強調される。形のある物は時と共に変形し、いつかは塵芥と化してしまう。遺跡を見ると巨大な物を作ったものへの賞賛より、すべて過去になり変形してしまった物への虚しさを感じる。
(ブログ筆者による省略)
どこを見ても長い歴史を感じるローマの町で、それぞれ「いま」という時を生きているのだ。
--ここまで
本書が単なる旅日記や紀行文の範疇に収まらないのは、このような記述が読めるからだと思います。旅は、おそらく、特に一人旅は、旅人の感性や人生観を揺さぶりながら、旅人を思索の人へと導いていくのだと考えました。
この文章の上には「ハイデルベルク古城で、遠足の子供達と「Guten tag こんにちは!」」という説明のある写真があり、笑顔の大湾さんが子どもたち3人と写っています。
「ハイデルベルク」で思い出しましたが、私は大学1年のとき、岩波文庫で「アルトハイデルベルク」(マイヤー・フェルスター著)を読みました。大学入学までの高校3年間は、徹底した「ガリ勉」を自らに課していたため、文学などとは無縁の時間が流れていたものですから、大学に入学できた開放感も手伝って、「アルトハイデルベルク」のような青春小説とでも言える文学を読めたことを、とても嬉しく思ったものでした。
ちなみに、、フェルスターの「アルトハイデルベルク」のあらすじを、ウィキペディアから引用しておきます。
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「第1章 1978年、第一回目の旅」
4月27日~5月21日 25日間 八ヶ国(ツアー)
イギリス→フランス→ベルギー・オランダ→西ドイツ→スイス→オーストリア→イタリア
の読後感を書きます。太字は本書からの引用です。
53ページ エドが案内してくれたパリの町 5月2日~4日
--ここから
翌朝、二人で朝もやのなかにうっすらと浮かびあがるエッフェル塔をホテルの窓から眺める。パリにまた来よう。そしたらまた彼に会えると心ひそかに思ったが、彼との時間はそのときが最初で最後だった。この旅の二年後、彼がアメリカのメイン州の病院に入院していると電話をかけてきた。その翌年、彼の母親から死亡通知を受け取った。享年三十九歳だった。
その後パリには何回も訪れたが、エドが案内してくれたときほど町は美しく輝いては見えなかったのは、気のせいばかりではないだろう。
--ここまで
最初の旅の始まりは4月27日。上記の出来事は5月2日からの3日間の出来事です。
大湾さんは最初の旅の6日目に、「ロンドンからパリに移動する機内で、イギリス住まいのパリに勤務しているアメリカ人のエドとたまたま隣席し」たのでした。そして、「ラム酒のせいではないと思うが、どうもこの町を歩くと誰でも恋をしたくなるらしい」とお書きになっていることからも、モンパルナスタワーからの展望、裏小路のレストランでの夕食、セーヌ川での遊覧船、ファッション街の散策・・・と、大湾さんは、とても素敵な時間を過ごされたようです。
ところが、翌年、エドの訃報を受け取ることになろうとは・・・!
大湾さんの悲しみはいかばかりだっただろう、と想像しながら、人生の旅は、出逢いと別れで構成されている、という考えが浮かんできました。できるならば、楽しい出逢いだけが続けばよいのですが。
56ページ ジャン・ピェールと昼下がりのローマの町を歩く 5月20日 ローマ
--ここから
力のある者ほど大きな物、不滅な物に憧れるが、巨大な遺跡の中に立つと、逆に人間の小ささが強調される。形のある物は時と共に変形し、いつかは塵芥と化してしまう。遺跡を見ると巨大な物を作ったものへの賞賛より、すべて過去になり変形してしまった物への虚しさを感じる。
(ブログ筆者による省略)
どこを見ても長い歴史を感じるローマの町で、それぞれ「いま」という時を生きているのだ。
--ここまで
本書が単なる旅日記や紀行文の範疇に収まらないのは、このような記述が読めるからだと思います。旅は、おそらく、特に一人旅は、旅人の感性や人生観を揺さぶりながら、旅人を思索の人へと導いていくのだと考えました。
この文章の上には「ハイデルベルク古城で、遠足の子供達と「Guten tag こんにちは!」」という説明のある写真があり、笑顔の大湾さんが子どもたち3人と写っています。
「ハイデルベルク」で思い出しましたが、私は大学1年のとき、岩波文庫で「アルトハイデルベルク」(マイヤー・フェルスター著)を読みました。大学入学までの高校3年間は、徹底した「ガリ勉」を自らに課していたため、文学などとは無縁の時間が流れていたものですから、大学に入学できた開放感も手伝って、「アルトハイデルベルク」のような青春小説とでも言える文学を読めたことを、とても嬉しく思ったものでした。
ちなみに、、フェルスターの「アルトハイデルベルク」のあらすじを、ウィキペディアから引用しておきます。
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ザクセンのカールブルク公国の公子、カール・ハインリッヒがハイデルベルク大学へ遊学して、このネッカー川に面した美しい町の下宿でケーティ (Kathi) と仲良くなり楽しい時を過ごすが、養父の死により大公に就くことになり、彼女と別れて故郷へ呼び戻され、その後再びハイデルベルクを訪問してケーティに再会するまでを描いている 。
--ここまで
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つづく
次回からのブログは、『幻の旅路』の読後感は少しお休みして、11月後半から12月前半までの出来事を書き、『言志録』の読後感を書いた後、再び『幻の旅路』の読後感に戻ろうと考えています。