この逸話は、著者 植野明磧先生が、良寛和尚の七言詩の読下文を紹介するところから始まります。

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少小 文(ふみ)を学びて 儒(じゅ)となるに懶(ものう)く
少年 禅に参じて 燈(ともしび)を伝えず
今 草庵を結びて 宮守(みやもり)となる
半ば 社人(しゃにん)に似 半ば僧に似たり

 山の登り下りが苦痛になってきた良寛さんが、住み馴(な)れた五合庵(ごごうあん)をあとに、その山麓(さんろく)にある乙子(おとこ)神社の境内(けいだい)の空庵に移ったのが五十九才のときでしたが、この七言詩はその当時の心境を表現したものです。
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《辞書を読む》 ※『国語大辞典』(小学館/1988)
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しちごん【七言】
(「言」はことば。漢字一字は一語を表すところから)一句が七字からなる漢詩。また、その漢詩体。

しょうしょう(セウセウ)【少小】
1 年わかいこと。年少。
2(略)

ふみ【文・書】
Ⅰ (「文」の字音の変化か)
1 文書・書物など、文字で書きしるしたもの。かきもの。
①漢文の典籍・経典の類をいう。(略)
②(略)
③漢詩または漢詩文をいう。(略)
2 学問。特に中国の文学・漢学をいう。→ふみの道。
3(略)
4 紋所の名。結び文を図案化したもの。開き文、結び文などがある。
Ⅱ(略)

じゅ【儒】
1 =じゅきょう(儒教)
2 =じゅしゃ(儒者)

ものうい【物憂い・懶い・慵い】
〔形口〕卆ものう・し〔形ク〕
1 気がすすまずおっくうである。何となく倦(う)みつかれて身心がすっきりしない。だるく大儀である。(略)
2 何となく心がはればれしない。憂鬱(ゆううつ)である。(略)
3 何となくつらい。いやである。やりきれない。わびしい。苦しい。(略)
ものう‐が・る(自ラ四)/ものう‐げ(形動)/ものうげ‐さ(名)/ものう‐さ(名)

しょうねん(セウ‥)【少年】
1 年の少ないこと。また、その人。年の若い者。若者。男女ともにいうが、現在ではふつう、小・中学生ぐらいの男子にいう。
2(略)
3 年若い時。少年時代。
4(略)

さんぜん【参禅】
禅道を学ぶこと。また、坐禅を組むこと。

そうあん(サウ‥)【草庵】
藁(わら)・茅(かや)などで屋根を葺(ふ)いた粗末な家。草ぶきの小さな家。くさのいおり。

みやもり【宮守】
宮の番をすること。神社の番をすること。また、その人。神社の番人。神官。

しゃにん【社人】
神社に奉仕する人。神主。神官。神職。主として、下級の者をいう。しゃじん。
社人の居(い)なり食(ぐ)い (氏子が神に供えた供物(くもつ)などについて神職たちが文句をいいながら、食べるだけは遠慮なしに食べてしまうの意)無為徒食のずうずうしさ、身勝手を皮肉っていう語。
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 七言詩の大意は・・・
 「幼い頃から勉学に励み、儒者になろうとしたが、なんだか割り切れず、十代から禅宗に入り座禅を組むようになったが、きちんと仏の教えを伝えることもできなかった。そして今は、五合庵で生活するようになったが、神社の番を頼まれた。神官のようであり、また、僧侶でもある。(どっちつかずの生活をしているのだなぁ・・・)」
・・・のようになると思われます。

 私は、良寛和尚は、五合庵を住居にして、村々を托鉢して回り、時に子どもたちと遊ぶ・・・というような世俗を超越した暮らしをしているものとばかり思っていましたが、上の七言詩を読むと、「えーっ? 良寛和尚は神主もしていたのかぁ?!」と驚きました。
 明磧先生は次のように解説してくださいました。

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 山の登り下りが苦痛になってきた良寛さんが、住み馴(な)れた五合庵(ごごうあん)をあとに、その山麓(さんろく)にある乙子(おとこ)神社の境内(けいだい)の空庵に移ったのが五十九才のときでしたが、この七言詩はその当時の心境を表現したものです。
 お坊さんである良寛さんが、お宮さんの一角に住んで、宮守のような生活を始めたのです。さすがの良寛さんも、いったい自分は神主(かんぬし)なのか、あるいは僧侶なのか、自問せずにはおれませんでした。ですから当時の人々が良寛さんを見て、随分奇妙な坊さんだと思ったのも当然でありましょう。
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 やはりそうでしたか、というように読ませていただきました。
 現代のようにアスファルトで舗装されて観光コースになっているわけでもない山道の登り下りは、さぞかし大変だったことでしょう。
 五十九才。私も年明けには同い年になります。現代ならば、「59歳?なんだ、還暦前じゃないの。まだまだこれからでしょ?」などと言われそうですが、健康状態や生活環境は人それぞれ。千差万別です。
 私自身も、すっかり身体を壊し、毎日、少しずつ散歩をすることで寝たきりにならないように必死に努めているところで、この2週間ほど、書斎の不要本の大整理をしていて、寝込みそうになりました(苦笑)。
 ですから、さほど栄養状態も良くなく、きつい山道を登り下りする良寛さんの大変さに共感しています。
 当時の村人たちも、宮守をする良寛和尚を見て、「托鉢だけじゃ食べていけないのだなぁ、お坊さんも生きていくのが大変なんだねぇ・・・。」などと、世間話をしていたのかもしれませんね。

 明磧先生の解説は続きます。
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 しかし、この風変りな坊さんの生活の根底には、あらゆる宗教宗派を超えて、一人一人の人間の魂の救済を願ってやまなかった、大慈大悲(だいじだいひ)の正神が秘められていたことを見落としてはなりますまい。
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 おそらく、厳しい修行の末に悟りを得て、父親の死に直面して更に深い境地に達した良寛和尚であるからこそ、宗教宗派に拘(こだわ)らない生活が可能だったのだろうと思いました。

 ここから「あらすじ」に進むのですが、次回のブログに書きます。

《辞書を読む》 ※前掲書
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だいじだいひ【大慈大悲】
仏語。広大無辺の慈悲。特に、その大きな慈悲をたたえて、観世音菩薩をさすことがある。
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