この逸話は、次のような漢詩から始まります。

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林間倒せばレ指を已(すで)六十
一簟(たん)一瓢(ぴょう)送るニ余年一
世上の富貴は雖(いえども)レ可(べし)とレ羨(うらやむ)
竹子(ちくし)の時節不(ず)レ得レ閒(かん)を
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 この漢詩に続いて、著者 植野明磧先生が、平易な言葉で漢詩の説明をしてくださっています。

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 林間の小庵に住まいする自分は、数えてみると、もう六十才になるのだが、相変わらず一簟一瓢の簡素な生活をして、残り少ない人生を送っているのである。わたしだって、世上一般の富や地位を羨ましく思わないでもないが、筍(たけのこ)の出る今日このごろは、とっても忙しくて、ゆっくり、そんなことを考えている暇がないのでのうと、良寛さんがいいます。
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    《辞書を読む》 国語大辞典(小学館1988)
    たかむしろ【竹莚・竹席・簟】
    籐や細く割った竹などで編んだ夏用のむしろ。
    たけむしろ。《季・夏》

    ひさご【瓠・匏・瓢】
    Ⅰ (古くは「ひさこ」とも)
    1 夕顔・瓢箪(ひょうたん)などの総称。また、特に
    それらの果実。なりひさご。《季・秋》
    2 1の実をくりぬいて作った容器。水・酒・穀物など
    を入れる。
    3 (「杓」「柄杓」)水などをくむ用具。1の実を縦に
    二つに割って用いたところからいう。後には、木を
    刳(く)って作り、柄をつけたものなどもいう。ひしゃく。
    4 (略)
    Ⅱ(略)

    一箪の食(し)一瓢(いっぴょう)の飲(いん)
    (「論語‐雍也」の「一箪食、一瓢飲、在二陋巷二人
    不レ堪二其憂一回也不レ改二其楽一」による)きわ
    めて貧しい生活をいう。

    ※「一簟一瓢」とは、「竹むしろ1枚とひしゃく1つ」
     しか持たない極めて質素な生活を指すものと
     考えられます。

 良寛和尚が「わたしだって、世上一般の富や地位を羨ましく思わないでもない」と言うのには驚きましたが、その次の文には「そんなことを考えている暇がない」とすぐに否定しています。このへんが良寛和尚の正直なところであり、また偉大なところであると思います。

 明磧先生の解題が続きます。
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 新緑の初夏を迎えた良寛さんが、なぜそんなに忙しいのでしょうか。それは、里辺にはあんなに多くの子どもたちが待っているからです。いや、子どもたちだけではありません。村々の老若男女、あらゆる人たちとの語らいが、積もっているからでありましょう。
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 ここでも良寛さんは、子どもたちや村人たちのことを第一にして暮らし、自分自身の生活を律していたようすが見てとれます。
 それにしても、どうして「筍(たけのこ)の出る今日このごろは、とっても忙し」いのでしょうか?
 その答えは、逸話として残っています。明磧先生のお書きになる今回の逸話は、次回のブログで書かせていただきます。