読売新聞に、文部科学省が「デジタル教科書」導入の検討を始めたという記事と社説が載りました。
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2015年05月09日(YOMIURI ONLINE)
(見出し)
全教科をタブレット1台に…デジタル教科書検討
(リード)
文部科学省は、タブレット式の情報端末を使った「デジタル教科書」の導入に向け、有識者会議を設置して検討を始める。
(本文の要点)※文責はブログ筆者
英語や音楽で音声を使った体験学習をしやすくなるほか、算数・数学では、図形を立体的に学ぶことができるといったメリットに着目している。文科省は、2年程度かけて新たな教科書検定の方法などを検討し、早ければ2020年度からの導入を目指す。
デジタル教科書は、公立小中学校の全教科の教科書をタブレット端末1台にまとめ、児童生徒に配布することを想定している。新しいニュースを学ぶことにも役立つ。
教育現場では、情報通信技術(ICT)の活用が進んでいる。ただ、教科書は現行法では「紙」であることが定められており、タブレット端末を教科書と認める場合、学校教育法などの法改正が必要となる。
2015年05月17日(YOMIURI ONLINE)
(見出し)
デジタル教科書 活字文化の衰退を招かないか
(社説の要点)※文責はブログ筆者
社会のデジタル化が進んでも、子供たちが紙の教科書を読み、鉛筆で文章を書くことの大切さは変わらない。
有識者会議は、「導入ありき」の拙速な議論に陥ることなく、問題点をきちんと見極め、慎重に検討を進めてもらいたい。
今回の教科書のデジタル化論議の背景には、教育現場のIT化の流れがある。画面を動かしながら、立体の特徴を確かめたり、英語の正しい発音を聞いて、音読練習をしたりする学習が可能になった。障害を持つ子供にとって、文字の拡大や文章の読み上げといった機能は、理解の助けになるという指摘もある。
教科書がデジタル化された場合、子供たちは情報端末を自宅に持ち帰るようになる。家でも端末操作に熱中するなどして、生活のリズムが変わり、本を読む機会が減ってしまわないか心配だ。デジタル教科書の導入が、「活字離れ」に拍車をかければ、活字文化の衰退を招きかねない。
日常的な使用が、視力や姿勢に悪影響を与える懸念もある。
様々な課題を踏まえれば、デジタル技術の活用は、補助教材にとどめておくべきではないか。
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上記の新聞記事と社説を読んで、5月5日に書いたブログ『NHK「所さん!大変ですよ」を観て驚いた!』を思い出しました。
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スマホやテレビゲームなど、指先ばかりを使う子どもたちは、手首や腕の筋力が極端に下がっている。いや、腕だけでなく足腰の筋力にも問題が生じているらしい。「体育座り」の状態から手を使わずに立ち上がることができない子どもが増えている。文科省も本格的に調査を始めるらしい。
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このことが、社説の後段「日常的な使用が、視力や姿勢に悪影響を与える懸念もある」に結びついて、「デジタル教科書、大丈夫か?!」と、思わず口走ったのです。
というのは、このまま数百年経つうちに、日本人ならずとも人類は、私が子どものころのSF映画に登場したような「タコかクラゲのような火星人」のように、くにゃくにゃな生き物になってしまうのではないか?という不安を持ったのです。ブラックユーモアで止まればよい、と、真剣に思っています。
つまり、「えんぴつを持って、実際に書く」ことがなくなったら、やがては文明が終焉を迎えてしまうと思うのです。
つまり、「えんぴつを持って、実際に書く」ことがなくなったら、やがては文明が終焉を迎えてしまうと思うのです。
辞書の世界も、紙辞書と電子辞書の住み分けが成立しているように、紙の教科書が「主」、デジタル教科書が「従」(補助教材)です。