植野明磧先生の名著『良寛さん』の「賢愚を超える」を読みました。この逸話には三つの小見出しが付いています。

    半兵衛の家
    蚊よけの藁束
    悟りを忘れる

 いわゆる逸話は始めの二つで、最後の小見出しは、著者 植野明磧先生の解題になっています。
 今回の逸話を読むために引いた辞書は、『国語大辞典 新装版』(小学館1988)です。

  「半兵衛の家」のあらすじは次のとおりです。

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 良寛さんが牧ヶ花の村へ托鉢に行き、村のかかりの家の軒先で念仏を唱えようとすると、向こうから来た一人の男が、にたにた笑いながら、 「良寛さま、そこは半兵衛の家だがのう。」と言った。
 良寛さんは驚いて、抜き足差し足でこの家を離れ、隣家へ行った。
 その家の軒下で念仏を唱えようとすると、今度は一人の女が傍らに来て、良寛さんの耳元へ口を寄せて、 「良寛さま、ここは半兵衛の家ですぞ!」と言うので、良寛さんは怖そうに、忍び足で、この家を遠ざかった。
 次の家へ行って門先で念仏を唱えかけると、また傍らへやってきた男が、 「ここは半兵衛の家じゃよ、良寛さま。」と言うので、良寛さんは、また驚いて別の家へ逃げるように移った。
 どの家の前に立っても、みんな、 「ここは半兵衛の家じゃ。」と言うので、十数軒も逃げ廻った良寛さんは、とうとう托鉢を諦(あきら)めて、隣の村へ行ってしまった。
 半兵衛というのは、この村に住む大酒呑みで、平素は人の好い男なのに、いったん酒を呑み出すと、まるで気狂いのようになって、なんとも始末におえない男なのだ。
 以前、良寛さんが托鉢に来たときに、運悪く酔いどれの半兵衛に出合ってしまい、散々管(くだ)を巻かれて、ひどい目に遭い、通り合わせた村人の協力で、ようやく逃れたのだった。それ以来、良寛さんは、半兵衛という名を聞くだけで、もう怖くて仕方がなかった。
 村人たちは、このことを伝え聞いていて、久々に托鉢に来た良寛さんを、懐かしむあまりに、「ここは半兵衛の家じゃ」と言って、良寛さんをからかったのだ。
 良寛さんは、半兵衛の家が、そんなに何軒もあるものではない、ということさえ疑わなかったようだ。
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 私のような凡人は、一軒目はさておき、二軒目になった時点で、「えっ?どちらが半兵衛の家なんだ?」と訝(いぶか)しがります。
 そして、そのうち、ハタと気づきます。
 「なんだ、村の人たちは、みんなで私をからかっているのか!」
と気づいて、腹が立つに違いありません。
 これが普通の人間の感覚ではないかと思うのですが、どうして良寛和尚は、からかわれていることに気づかず、「十数軒も逃げ廻っ」てしまったのでしょう。
 どう考えても良寛和尚の感覚に辿り着くことはできません。しかし、ヒントらしきものは逸話の中にあります。すなわち、良寛和尚は「半兵衛という名を聞くだけで、もう怖くて仕方がなかっ」たのでしょう。ただただ「怖い」という感情で心が満たされてしまったのでしょう。

 辞書を引いた言葉を書いておきます。
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「村のかかりの家」の「かかり」
かかり【掛・懸・係・繋】
1 (略)
2 世話になること。頼ること。また、頼りとするもの。*十訓抄‐一「我にしたがひたりしもの、十が九は亡び失ぬ。城もなし、かかりもなし」
3 倒れたり、落ちたりしないように、物や人を支えとめるもの。よりかかりやひっかかり。釣り針では(あぐ)をいう。
4 あるつながり。関係。かかわり。*天草本平家‐二「イマワホトケガユカリcacarino(カカリノ)モノドモハジメテタノシミサカエタ」
5 (係)ある特定の事柄に関する仕事を受け持つこと。担当。また、それを受け持つ人や役目。あるいは、受け持っている場所。現在、官庁や会社などでは、多く「部」「課」の下に置かれる部署の一つ。「係りの人に尋ねる」「経理係」
6~16 (略)

ぬきあし【抜足】
つまさき立てて歩くこと。足音を立てないために、足を物から抜き上げるように上げて静かにゆっくり歩くこと。ぬけあし。

抜き足差足(さしあし)
音のしないように静かに、そっと歩くさまをいう。「抜き足差し足忍び足」
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 「蚊よけの藁束」のあらすじは次のとおりです。

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 真夏に托鉢に出た良寛さんが藤兵衛の家の馬小屋を覗くと、一束の藁が梁(はり)から吊るしてあるのを見た。
 良寛さんが「これは、なんの呪(まじな)いかのう。」と尋ねると、藤兵衛は「馬の蚊よけでござんすよ。」と、笑いながら答えた。
 良寛さんが「どういうふうにして蚊をよけるのかのう。」と訊くと、藤兵衛は、「蚊がたかってくれば、馬が首をあげて頭を振るわのう。すると、頭が藁束にさわって揺れるわ、藁束がゆれると、蚊が逃げるというわけさね。」と答えた。
 感心した良寛さんは、帰りがけに一束の藁と縄屑(なわくず)を貰って、山の庵へ持ち帰り、さっそく、藁束を天上から吊るした。
 良寛さんは、日が暮れるのを今か今かと楽しんで待ち、晩になると、吊るした藁束の真下に寝た。
 寝たまま首を伸ばして、頭を振ってみたが、いくら首を伸ばしても藁束にはとどかない。今度は手を伸ばして藁束を動かすと、その近くへ飛んできていた蚊が、ブーンと鳴きながら逃げて行った。そのうえ、藁束がゆらゆら揺れるのを眺めていると、なかなかよい風情である。
 (ああ愉快じゃ。それに、今夜から蚊が出てきても、もう刺される心配はないわい。)と、独り言を言った良寛さんは、安心して眠った。
 ところが、まもなく蚊が飛んで来て、いつものように良寛さんにたかった。それでも、蚊に刺されないと信じきった良寛さんは、すやすや眠り続けた。
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 笑いました。良寛さんの興味関心も、興味関心から来る行動も、すべてがおかしくて笑ってしまうのです。
 しかし、この、私の「笑い」は、「嘲笑」でもなければ「侮蔑」でもありません。純真な幼子(おさなご)の言動を見たときと同じく、「良寛さん、かわいいねぇ!」という感じです。自然と湧き上がる楽しい笑いです。
 蚊に刺されないと信じて、すやすや眠った良寛和尚が、朝、目覚めたときに、顔や腕のあちらこちらが赤くなったのを見て、どんな顔をし、どんなことを思ったのか、想像してみたくなりました(笑)。
 おそらく、蚊を憎むことはなかったでしょう。そして、「まぁ、いいか。」と、頓着(とんじゃく)しなかったに違いありません。

  辞書を引いた言葉です。
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ちょうしょう(テウサウ)【嘲笑】
あざけり笑うこと。さげすみ笑うこと。「世人の嘲笑を買う」

ぶべつ【侮蔑】
あなどりさげすむこと。軽蔑。

とんじゃく(‥ヂャク)【頓着・貪着】
(「とんじゃく(貪着)」と同源。「とんちゃく」とも)物事を心に掛けること。拘泥すること。関心をもつこと。普通、否定語を伴って用いる。現代では多く、「とんちゃく」。*伎・毛抜「人が聞かうが誰れが聞かうが、そこにとんじゃくはない」

とんじゃく‐な・い(トンヂャク‥)【頓着無い】 〔形口〕気にかけない。かまわない。
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 最後は、三つ目の小見出し、明磧先生の解題「悟りを忘れる」です。

 明磧先生は、良寛和尚の振る舞いを「どう考えても、子どもの所作(しょさ)とより思われ」ないとしながら、ある禅僧の歌を紹介なさいました。

悟りとは悟らで悟る悟りなり悟る悟りはうその悟りぞ

 明磧先生は「永年の修行によって得た、その尊い悟りを、さらに修行を深めることによって、すっかり、忘れ尽くしてしまいました。それは、悟性の優越を超脱して、自らをそのまま仏に投げ出すことであり、天地万物の在るがままの法に同化して、それと一つになることでした。」と解説され、「人間の自然性を、そのままに生きた良寛さんは、完全に子どもになりきっていた」と続けます。
 そして、「子ども心をいつまでも失わずにいる大人、子ども心を取り戻した大人こそ、真実の大人なのではないでしょうか。」と問い掛けます。

 この明磧先生の解題には「子ども心」と「真実の大人」という、表裏一体のキーワードがありました。

 明磧先生は、次のように解題を締めくくられました。
 「良寛さんのような、真実の大人の物事を見る目は、澄み切っていて、こだわりがありません。そして、その行動には、邪気がなく疑いがなく、嘘がありません。それで、おのずから、人々に安らぎを与え、社会の悪を薄らがせ、世の中を明るくするのであります。」

 解題に関して辞書を引いた言葉を書いておきます。
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しょさ【所作】1 おこない。ふるまい。しわざ。所為。所行。特に、古くは読経、礼拝など神仏に対するおこないをいうことが多い。
2 (略)
3 (略)
4 身のこなし。身ぶり。しぐさ。動作。*浄・平仮名盛衰記‐四「弁慶が身の所作は仁王の形でしていりゃ能」
5 (略)

ごせい【悟性】
1 一般的に、知的な思考能力をいう。特に、哲学で、理性と感性との中間に位置する論理的思考の能力。感性が受け取った経験を範疇(はんちゅう)によって概念化し、判断を行なう精神活動。
2 りこうな性質。さとい生まれつき。

ちょうだつ(テウ‥)【超脱】
普通の程度を越えること。世間ばなれして、俗事に関わらないこと。超俗。
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