久しぶりに母の潰瘍性大腸炎のお話です。

前回と話が前後しますが、手術で大腸を摘出する前の話です。


当時とにかくステロイド、ステロイド、ステロイドと、ステロイド漬けの日々でした。

劇薬で身体はどんどんボロボロになっていくのに、

ステロイドをやめるわけにいかなかったです。


体力は40代にして老人以下、見た目も老人です。


骨が弱くなり、背骨が潰れて身長がかなり縮み、

背骨の代わりをしようと背筋を使うので背筋が傷み、

曲がった背中には貼ってもあまり意味のない大きな湿布を常に貼り、

母は常に湿布の臭いに包まれていました。

足のすねの皮膚は乾燥してつっぱっており、

ホルモンバランスの崩れたせいで男性の足みたいに濃いすね毛が生えてしまいました。


そしてもちろん好きな食べ物は食べられません。


牛乳やコーヒー、乳製品などのお菓子類、脂もの、、、こういった類はダメです。

食べれば大腸に負担がかかり、便の具合や下血につながります。

何より痛いです。

うどんやそうめんやおかゆなど、食べれてもそんなのばかりです。


食べられればまだ良いほうです。


母が亡くなったあと、母と親しくして下さった方から

母がその人に宛てた手紙を見せていただきました。

手紙は何通かあり、潰瘍性大腸炎で苦しんだうちの6年間に送ったものでした。

最初の数年は母らしいきれいな字で、しっかりとした手紙でしたが、後半は

「手がおぼつかなくて、乱筆乱文お赦し下さい」

とあるように、力の入らない手で書いたであろう、

ペンがふにゃふにゃと踊ってしまったような字でした。


その手紙の中には

「私は今日分身とお別れしました(点滴)。なんと70日ぶりです」

という言葉がありました。


70日間飲まず食わず点滴で生きたのです。

もちろん、脊髄小脳変性症で寝たきりになってからは何年も飲まず食わずでしたが、

当時は脊髄小脳変性症はまだ患っていませんから、

気持ち的には「健常者が病気した」という感じです。


そんな中70日、水さえ飲まずにいて、どんなに辛かったでしょう。

そして、70日ぶりの食事は(ほとんどお湯で数粒米が見える程度のおかゆでしょうが)

どんなに嬉しかったでしょう。そして

「これを食べても身体は大丈夫かしら」

という大きな不安もあったでしょう。



身体をボロボロに壊していくステロイドを飲み続けても、

こんな生活の繰り返し繰り返しで、下血するたびに

「またか、、、」

と落胆、痛み、苦しみ。

もし自分だったらとても耐えられません。

きっと泣いたり苛立ったりしていたに違いありません。

もしかしたら治療をあきらめているかもしれません。


でも母は、そういった感情を絶対に見せませんでした。

きっと相当辛かったと思うのですが、誰も一切見たことありませんでした。

毎日朝と夜出勤前後に病院へ、洗濯したパジャマを届けに行っていた父ですら。



その当時私はというと、本当に何もしてあげませんでした。


見舞いには行きましたが、母のグチや不安を聞いてあげることもなく、

またねぎらいや慰めの言葉もかけませんでした。

「「治療」なんだから仕方ないでしょ。良くなるためでしょ。」

そんなことを言ったような気がします。ひどい娘です。


「お母さん、大変だね。辛いよね」

なんて言った事ありません。そう思っても言えませんでした。

そんな言葉をかけたら、自分も母も泣き出してしまいそうで、

それがすごく嫌だったので言えませんでした。

でも、今すごく後悔しています。

そういう言葉をかけて、母と二人でみっともなく泣いてやればよかったです。

そうすれば、私も母もスッキリして、

日々溜まるストレスを発散できたのではないかと思います。