書き初めと母と名前の話 3 | ~ココロとカラダをリラックス~ 旅するように暮らす、PBMトレーナー日記

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リンク 書き初めと母と名前の話 2 の続きです。

 

 

わたしが書道を習い始めたのは

タカコさんの「文字を書く」ということに対しての

執拗な介入 に耐えられなかったからです。

 

 

それはもしかしたら

タカコさん自身が両親に文字を丁寧に書くことを

「それはそれは厳しく」しつけられたのかもしれないし、

 

職人の両親から引き継いだ職人気質と

自分自身の職人としてのプライド

とか

服と文字の違いはあれど「モノ作り」へのこだわり

とか

そういう類のものだったのかもしれないし、

 

 

母として子どもをしっかり育てなければ!

 

という長女の母にありがちな、

第1子への過剰な教育だともいえるかと思います。

 

 

 

特に、タカコさんは

第1子、わたしの2歳年上にあたる姉、を

早産で亡くしていました。

 

 

妊娠7か月、突然破水し、

700gあまりだった未熟児は

今の医療技術なら生きられたのかもしれないけれど

40年前のことです。

生後7日で空に還りました。

 

7続きは偶然かな・・・((+_+))

 

 

 

そのとき、タカコさんは妊娠中も

仕事をしていたそうです。

 

珍しい話ではありません。

 

 

早産や流産、

生まれる前に子どもを失うということは、

誰もが多くを語らない 語れないというだけで

少ない話ではないのです、

残念ながら、きっと。

 

 

 

でも、姑さんからは

仕事していたから流れたのだ、

と言われたんだそう。

 

 

 

 

定期健診でも全く問題なく、

順調だったそうです。

 

どんなに不摂生しても

元気に生まれてくる子もいるのにね。

そういうどうにも理不尽なことも、

世の中には、あるのにね。

 

 

 

 

 

気丈で明治の女そのものだった、

近所に住んでた父方の祖母には

孫10人の中では私が一番似てたらしく

ほんとにかわいがってもらった。

誕生日が1日違いで

桜の咲くころにおめでとうって言い合ったり

切手収集や和紙の切り絵を教えてもらったり、

慎ましく穏やかだけれど、ピーンと筋の通った印象の

頼りになるおばあちゃんだった。

 

 

 

 

 

けど、自分が母になった今、

その言葉はないでしょう 

って言いたい。

 

 

 

 

おばあちゃんもつらかったから

悲しみをぶつけられる理由を探さずには

いられなかったのかもしれない とも

大人になった今だから思えるのだけど

(今日だけは泣かせてくれ って実家で泣いたと

後になって陽気で気丈な父が話してくれました

母として息子の口から聞いたらいたたまれないだろうな)

 

 

 

 

 

タカコさんにはね、

さぞ堪えただろうと思います。

 

 

 

 

 

 

そして、それが

次に無事に生まれた子は

しっかり育てなくては、

というプレッシャー、意気込み、期待、いらない責任感に

変わっただろうということも

容易に想像がつきます。

 

 

 

 

 

そんなストーリーがあって、

「後任」として生まれた、わたし。

 

戸籍上は第2子、二女になっています。

だけど第1子の役割を二人分引き受けることになったのは

なんというか、行きがかり上、仕方ないですね。

 

 

 

 

ってだけでは

終われないんだな、この話。

 

 

 

リンク 書き初めと母と名前の話 4  へ続きます。