3日、元阪神監督の吉田義男さんが、脳梗塞のため亡くなった。91歳でした。経歴は、Wikipediaを参照ですが。85年監督時の球団初日本一に導いた監督。

 85年の阪神は、バース、掛布、岡田のクリーンアップが中心で、真弓は史上最強のトップバッターで、打線は脅威で、セ・リーグでは2球団目で、78年に記録した広島の205を大きく更新し216、当時のセ・リーグ記録更新でした、それと首脳陣も豪華で、監督に復帰する前は、カンテレで解説者で『プロ野球ニュース』にも出演した。

 西本幸雄さんも、推薦したそうです。球団が西本幸雄さんに要請したが、体調のことあって固辞した。




85年は、ファンも凄く阪神フィーバーの現象もあった。

 現役時代は、『牛若丸』と言われるように、華麗な守備でファンを魅了し、三塁手三宅、二塁手鎌田、遊撃手吉田、シートノックだけで金が取れると言われるように、内野陣強かったです、赤星が2001年に盗塁王取った時、吉田さん以降出なかったそうです

 打撃では、間違ってもHR打者でなかったが、金田正一さんが一番苦手にした打者でした。馬場正平、後にプロレスで16門キックで有名になったジャイアント馬場との対戦経験ありで、結果セカンドゴロでした。

 監督は3期にわたり、8年務めました。1次政権では、背番号1で、ビリー.マーチンに憧れた着用したそうです、75,76年はあと一歩で優勝逃したが、85年に劣らず打線は豪華、投手陣も、安仁屋さんやエモヤンいた、2次政権では、日本一なった2年後は、最下位独走で、勝率.331は、この年の首位打者篠塚と正田の.333を下回った、

 3次政権では、外国人に泣かされ、揚げ句の果て、ヤクルト,横浜の胴上げを見る屈辱でしたが、今岡、井川、浜中、関本など、後に2003.05年の優勝に貢献する選手獲得した。

 98年4月26日の巨人戦では、確か、4回に満塁になり、矢野❨元阪神監督❩の代打に八木を送り、先制2点タイムリーを打と期待に応えた八木さんもすごいが、ここで、代打送った『ヨッサン』に、独特の勝負感が働いたと思う、フランスにも野球発展に尽力し、『ムッシュ』の愛称をいただいた、

 解説者としては、穏やかな喋りがいいですね、ここにも貼り付けたが、広島が阪神9-0から逆転された試合で、当時radikoN入会してなくて、ABCラジオに合わせて、解説が吉田義男さん、この日は丸が二塁打、安打、HRと打っていて5回終了時に、アナウンサーがスリーベースだ出ればの問にヨッサンは『三塁打ですー』と答えてて、思わず笑ってしまった。

 『強い』をヨッサンは『つおい』と表現しますが、もう一人はアラレちゃんがよく言いますね、先日MBSラジオの番組で、掛布雅之さんが『吉田さんが体調崩されて』と言ってて心配しました。昨年末に入院してたそうです、でも、2年前の阪神日本一に歓喜を見れて嬉しかったと思います。古葉竹識さんが亡くなった時に、思い出語ってくれました、

 阪神は、今年で90周年で、誰よりも楽しみにしてたし、掛布雅之さんが殿堂入りも嬉しかったと思います、元気になって戻って来ると思いました。

 松村邦洋さんがモノマネしますが、俺もモノマネしました。

 21世紀枠で、母校の山城高校がノミネートされました。浜村淳さんはヨッサンの1年後輩です。