『何事も苦しむことが礎になる』との意だ。高校時代から怪童と騒がれたが、力不足を感じてた。西鉄ライオンズの入団後、必死の練習につながった
特大HRは。1953年8月29日、福岡平和台球場で飛び出した。打球は内野手の頭を越え当人もライナーだと思った。弾丸のように場外消えていった、『異次元』の一撃だったに違いない。
豪快なフルスイングのため、ファウルチップのあと『ボールの焦げるにおいがした』という伝説すらのこした。4年連続本塁打王に輝くなど、50年代の『西鉄黄金時代』を築いた戦後球界の立役者だった。
監督としての実績は今ひとつでも、打撃コーチとして手腕を発揮した、
ボールやバットに当たりそうになっても構わず選手に近づき熱心にティー打撃を繰り返した「中西流」を学んだ選手は多い。
オリックスのヘッドコーチ時代は、阪神大震災で被災した神戸を元気づけようと『何苦楚』精神でリーグ優勝に貢献した、西鉄のスターが博多っ子を熱狂させた日々はすでに遠い。だが、ひたむきな野球への情熱は弟子たちに引き継がれ、大きな花を咲かせた。
現役時代の通算成績が、新聞にも乗ってましたが、後半は、ケガの泣かされたことがわかりますね、監督時代は、優勝は1度でしたが、この優勝は、首位だった南海に14.5ゲーム差があったのにも関わらず、そこから驚異の追い上げで優勝したこと遭った、今でも、NPB記録だ。
打撃コーチで、実績を残した。若松勉さんや岡田彰布さんは、門下生、イチローさんや、ブライアントにとっても、師匠だ。太さんの指導が、指導受けた選手が、コーチや監督になって、次世代選手が、活躍しました。きっと、中西太さんの指導は、Simple is bestだと思います。

