佐々木選手は、83年水島工業高校から、D6位で南海ホークスに入団。加藤伸一は同期入団。94年から西武、99年から阪神でもプレーした。DeNAに在籍してる佐野恵太は甥にあたる。

 85年に、54試合出場し、87年には2試合連続初回先頭打者本塁打を達成。125試合に出場。88年には、オールスターにも出場し、その年は、南海からダイエーに決まり、その年の大阪球場最終戦と南海最後の試合でも本塁打放ち、日米野球で、翌年から本拠地となる平和台球場でワールドシリーズMVPのハーシハイザーから本塁打、ユニホームに発表会では加藤伸一と共に登場、
 91年に初の3割(.304)、21本塁打。92年には、開幕戦で初回先頭打者本塁打を達成。この年は、1964年広瀬叔功以来となる首位打者と盗塁王を獲得。

 93年オフ、秋山幸二、渡辺智男、内山智之との大型トレードで、村田勝喜、橋本武広と共に西武に移籍。
 94年は、自己最多の84打点。盗塁王も獲得。自身初優勝🏅。日本シリーズ第4戦では、サヨナラ安打を記録。97年に、レギュラーを奪取、肋骨を骨折しながら、出場し、1500安打も達成。3年振りの優勝🏆にも貢献。98年を最後に、構想外に

 99年から阪神でプレー、一塁手も兼任。思うような活躍できず、01年から独立リーグでプレー。01年に引退し、引退後は、ダイエー.オリックスで打撃コーチ、守備.走塁コーチも務め。社会人野球でコーチ⚾️、監督も経験し、2018年からは、高校野球の監督に就任し、就任2年目秋、鹿児島大会で優勝🏅し、九州大会では、準決勝進出し、今年の第92回センバツにも選ばれた。が、コロナの影響で、中止になった。

 プレースタイルでは、走攻守3拍子揃った選手で、秋山幸二と共にMajorに一番近い男と称された。打撃スタイルは、ほぼ突っ立った形で、チームメイトだった門田博光より足を高く上げ、力強い打撃が売りだった。トリプルスリーを狙える選手だった。ある日、平和台球場での西武戦で、左中間に直接フェンス直撃の打球が、挟まったことあり、三塁まで行ったが、審判が両手で2のゼッシャーし、本塁打と思ったらしい。珍プレー好プレーでも、取り上げられた。
 オリックスのコーチ時代、のちにCARPでもプレーした迎とう選手がいて、「ムカデ」と呼んでた。
 南海時代の背番号が0だったので、CARPの長嶋清幸とロッテの愛甲猛と、001という事で国際電話のCMにも出演した。