現役時代は、二塁手として活躍し、中日で2度監督を務めた高木守道氏が、17日急性心不全で亡くなった。78歳だった。12日は、CBCラジオ「板東サンデー」出演したばかりで、親友の板東英二氏と思い出話ししたばかりだった
高木氏は、県岐阜商から60年中日に入団。初打席を本塁打で飾ると、63年に初規定打席に到達。不動の二塁手として活躍。盗塁王3回、ベストナイン7度、ゴールデングラブ賞3度受賞。80年引退。 06年殿堂入り!
引退後は、二軍監督や守備走塁コーチを歴任。2度監督を務めた。1度目は星野仙一、2回目は落合博満の後務めた。監督時代は、優勝は出来なかったが、94年は、勝った方が優勝いわゆる「10.8」を演出。このシーズンは、巨人の急降下と中日の怒涛の追い上げがあり、9/28?雨天中止が、10/8になったことが、「10.8」決戦になった。この年限りで辞任するつもりが、選手たちに促され、続投したが、一転、極度の不振で、途中休養、自身最後の指揮は、球団社長の訃報が重なり、審判に暴行で退場する後味悪い試合になった。
二次政権では、2年でしたが、CSでは3連勝して、巨人を苦しめた。最後は4位に終わった。昨年、高橋周平が初の規定打席に到達。守道さんが監督の時、高卒だった彼を、一軍の試合を経験させたことが大きかったです。
現役時代は、「ミスタードラゴンズ」と称された。セカンドの守備では、バックトスや華麗な守備を見せた。昨年亡くなった鎌田實もバックトスを披露した。当時エースだった星野仙一氏も絶賛してた。バックトスをマスターするため、壁に向かって何度も練習した。打撃では、主に1番として活躍。74年のリーグ優勝にも貢献🏅。決して大きな体出なかったが、通算236本塁打とパンチ力もあり、2274安打は球団史上最多安打。369盗塁。
80年に引退するのですが、王貞治が引退表明してから翌日に表明した。理由が翌81年から球界最年長になりそれなりの責任が持てなくなるが理由でした。
長嶋茂雄とは、高校時代から縁があった。大学生だった長嶋氏が、コーチとして指導した時、セカンドへのコンバートを薦めた。74/10/14は、優勝パレードに参加したが、冴えない顔でした。それは、同日に長嶋茂雄に引退試合で、高木守道氏もそこに出場したかったのです。電話で詫びを入れた。星野仙一氏も同様にです。「10.8」の時も相手が長嶋茂雄監督でした。
監督時代は、星野仙一氏と比べて、穏やかそうに見えるたが、勝負に対する執念がすごかった。一枝氏が言うには怒らせてはいけないでした。「瞬間湯沸かし器」になることあった。
監督時代に印象残る試合は、93年10月13日ナゴヤ球場でのヤクルト戦、(ヤクルトは2日後に優勝)、この年は、前年の最下位から2位。野村監督率いるヤクルトと最後まで優勝争いしたシーズンです。9/1のヤクルト戦で9回二死から池山に本塁打打たれ追いつかれ、延長15回無死満塁のサヨナラのチャンスで内藤に三者連続三振で引き分けがターニングポイントになった。
話は、10/13に戻すが。この試合では、今季から、中日に指導者として加わったパウエルを1番に起用し、初回先頭打者本塁打とサヨナラ本塁打の離れ業。リードしながら、8回に古田に2ラン本塁打が出て追いつかれ、中日にとって嫌な展開だった。ナゴヤ球場にもヤクルトファンが大挙押し寄せた。高木監督のパウエル1番起用は、地元でのヤクルトの胴上げ阻止する執念の起用だったと思う。
最後に、県岐阜商では、高木守道、和田一浩そして高橋尚子はBIG3みたいです